ラス メニーナス 怖い 絵。 『ラス・メニーナス』ディエゴ・ベラスケスの作品解説

なぜ怖い? 華麗なバレエの本当の舞台裏を描いた、孤独な画家ドガ

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Contents• 「高貴な青い血」に取り憑かれた、スペインハプルブルク家 画像は マリー・アントワネットの母 陽の沈まぬ帝国と言われオーストリアを凌ぐと言われながら、僅か5代で滅亡したスペインハプスブルク家。 ハプルブルク家は「 」を守るために近親婚を繰り返していました。 異常とまで言える、血統主義を貫き、悲劇的な終末をし歴史にその存在を残した王家。 そんな宮廷の宿命を一挙に背負った、ハプスブルク家王女マルガリータ、 彼女が誕生するまでを、時系列で追っていきます。 断絶の原因を作った血族結婚は「苦渋の決断」だった (スペイン国王カルロス1世 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画 1548年) 時は大航海時代、 初代王カルロス1世は次々と領地を開拓し、世界最大の植民地 帝国を築きました。 そして、 一家は2代目となる、のときに黄金期を迎えます。 しかし、そんな絶好調にみえる王もある悩みを抱えていました。 宮廷断絶に直結する『世継ぎ問題』です。 は3度結婚したものの、子供は次々早逝し、41歳になっても世継ぎができなかったのです。 (フェリペ2世の全身画) 宗教上の問題で一夫多妻制は許され ず、『 カトリックの王妃 との子供 だけが世継ぎ』 と認められる世の中でした。 「正当な世継ぎ」を残すため苦渋の決断に迫られた王は、実の妹の娘であるアナと結婚します。 引用元: 2人は叔父姪婚となるため、ローマ教皇は反対したようですが、フェリペ2世の権力が強く、結婚にいたり4人の息子と1女をもうけました。 しかし血が濃いためか子供たちは次々となくなり、 「フェリぺ3世 の祖父 」だけが成長します。 スポンサーリンク 病弱で怠惰王フェリペ3世も、世継ぎ問題に苦しみ血族結婚 (フェリペ3世 肖像画) そうした生まれたフェリペ3世は生まれつき病弱で、年老いてゆく父も、息子の将来に不安を抱いていました。 「怠惰王」と呼ばれたフェリペ3世、23年に及ぶ治世を取り仕切ったのは、首席大臣のレルマ公爵あるいはウセダ公爵でしたが、 彼らはこの大帝国の国政を担うにはいささか力不足であり、 フェリペ2世が残した世界帝国は衰退への道を歩み始めることとなります。 そして 叔父姪結婚で生まれた フェリペ3世 の祖父 も、オーストリア・ハプルブルク家と近親結婚することになります。 名門スペイン王室として、臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかった。 高貴な青い血を守るため、血族血結婚を繰り返すハプスブルク家。 高貴な血を守ること、プライドは、王家断絶より重要なことだったのでしょうか。 マルガリータ王女の父、フェリペ4世も近親婚で生まれた (フェリペ4世の肖像画 ベラスケス画) 近親婚が淡々と繰り返されていくハプスブルク家、 マルガリータの父フェリペ4世は「無能王」と称され、家臣に政治を丸投げして、女遊びや娯楽に夢中になっていたといいます。 ただし宮廷画家にベラスケスを登用するほど、唯一芸術には見る目があったと言われています。 参考記事: 度重なる近親婚のためか、8人の子供は亡くなり、また妻をも出産が原因で失くしてしまったフェリペ4世。 彼も世継ぎ問題には苦労をし、 結果として妹マリア・アンナの娘、マリアナ・デ・アウストリアと、近親婚 (叔父姪結婚 )をします。 この2人の間に生まれたのが、あの愛くるしい「 マルガリータ王女」です。 (薔薇色のドレスの王女 ベラスケス画) スポンサーリンク マルガリータ王女が背負った、宮廷人の宿命 参考: は王の大のお気に入りで、 ベラスケスら宮廷画家たちに彼女の多くの肖像画を書かせました。 とは違い、近親婚の大きな影響は見られなかった、と言われていますが、スペイン大学の研究によると 『 マルガリータの近交係数 ( 近親交配の度合いを表す数値) は、親子間、兄弟間ででる数値の4倍だった 』ことがわかっています。 引用元: 男児が生まれず、一時は「スペイン女王に」と名前があがったマルガリータ。 しかし世継ぎ 弟のカルロス が生まれましたので、マルガリータはウィーンへと嫁ぐことになります。 王女マルガリータは16歳でウイーンへ 婚礼を前に、父王の喪に服す王女(15歳、デル・マソ画、プラド美術館収蔵) これはマルガリータが15歳のときにデル・マソが描いた作品『 婚礼を前に、父王の喪に服す王女』です。 愛くるしい少女だったも美しい女性へ変貌を遂げています。 この絵が描かれたのは父フェリペ4世が亡くなった直後でしょうか、 悲しさが表情から伝わってきますね。 またもや繰り返される近親婚 スペインハプスブルク家 晩年の家系図 の旦那は、実母の弟であり 11歳年上のレオポルト1世でした。 マルガリータは彼をおじさまと呼んで慕い、宮廷生活のなかでは 比較的幸福で平和な結婚だったといいます。 そして 16歳という若さで、男児を出産することに成功します。 そして6年間で6人の子供をもうけますが、最期の子を出産する際、子供と共に亡くなってしまいました。 若くして度重なる妊娠に身体はすっかり弱ってしまったようです。 ちなみにマルガリータの子供は長女のマリアのみが成人し、他は幼いうちに亡くなっています。 裏話 スペインハプスブルク家の王朝の最後 (フェリペ・プロスペロ王子、画、1659年) マルガリータ王女には、愛くるしい弟がおりました。 こちらはベラスケス最期の肖像画といわれる絵、身体が弱く、 この世の人とは思えないほど純粋無垢で美しい、です。 生まれながらに病弱であったことが、この絵画にも反映されています。 もしかしたら、立っているのすら辛いほどだったのかもしれません。 弟カルロス2世誕生の数日前に、 わずか4歳でこの世を去りました。 (参考記事: スペインハプスブルク家 最後の皇帝 (カルロス2世 Carlos II) こちらはマルガリータと、フェリペ王子の弟として生まれたです。 39歳まで生き抜いたものの、度重なる近親婚の果てを表したように、病弱でいくつか病気を抱えていました。 彼には子供ができず、世継ぎがいなかったため、 「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペインハプスブルク家はわずか5代で断絶にいたりました。 カルロス2世起きた近親婚の弊害については、こちらの記事 にまとめております。 スポンサーリンク あとがきにかえて 『ピンクのドレスの王女』(10歳、プラド美術館収蔵) 宮廷人という宿命を背負って、命を全うした。 領地と権力を守るために、幾度も重ねた血族結婚の果てに生まれた、美しく、愛くるしい子供たち。 4歳にして皇帝の座についたは、幼少期には衣服を身につけた動物のようで、教育を施すことも困難であったと言われています。 1580年から1640年まで、海外植民地を含めて。 絵画の面白さは、 400年近く前に懸命に生きただろう、人々の生き様が生々しくリアルに、そして悍ましいほど美しく切り取られキャンバスの中に静かに眠っていること。 そんな名画『 』は、500年近くたつ今も、スペイン・マドリードにて人々を魅了し続けているのでした。 ハプスブルク家シリーズの続編はこちら• この記事を読んだ人にオススメの記事• スポンサーリンク.

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『ラス・メニーナス』ディエゴ・ベラスケスの作品解説

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ラス・メニーナス(女官たち・宮廷の侍女たち) ラス・メニーナス作品解説 『 ラス・メニーナス』は バロックの巨匠であるスペインの画家 ディエゴ・ベラスケスによる油彩画。 『女官たち』『宮廷の侍女たち』とも。 1656年に制作された大型の油彩画で現在はスペインの プラド美術館に所蔵されています。 1666年の蔵品目録に『家族の絵』『王家一家』の題で記録があり、宮廷の侍女たちを指す『ラス・メニーナス』という作品名は19世紀に入ってから付けられたものです。 画面の右側と正面から差し込む光によってもっとも明るく照らし出されているのは中央にいる マルガリータ王女。 王女を照らす光より少し柔らかい光によって侍女や慰め者たち、更に薄暗いなかに付き人やベラスケスといったように、光の明度によって遠近感が表現されています。 スペイン史上最高の名画とも言われるベラスケスの『ラス・メニーナス』は、多くの芸術家に影響を与え、サージェント、ピカソ、フランシス・ベーコンらの作品モティーフに用いられました。 特にピカソにおいては『ラス・メニーナス』から受けたインスピレーションをもとに58枚もの連作を制作しています。 本作『ラス・メニーナス』は、人気TV番組(NHK・Eテレ)『』のモデル作品にも取り上げられました。 ラス・メニーナス鑑賞のポイント ラス・メニーナスの登場人物たち 『ラス・メニーナス』には間接的な表現も含めて11人もの人物が描きこまれています。 一番左でキャンバスに向かっているのはベラスケス。 中央のマルガリータ王女の左の侍女がドーニャ・マリア・アウグスティーナ・デ・サルミエント、右の侍女がドーニャ・イザベル・ベラスコ。 侍女の右側に居る慰め者2人は左がマリア・バルボラ、右の犬に足を乗せているの画ニコラシート・ペルトゥサート。 侍女や慰め者の後ろに立つ2人は王妃の侍女であるドーニャ・マルセーラ・ウリョーアとドン・ディエゴ・ルイス・デ・アスコーナ、後ろの明るい戸口に立っているのは宮廷の式部官であったドン・ホセ・ニエート。 フェリペ4世と王妃マリアーナは壁にかかる鏡に映りこむ形で描かれています。 ベラスケスは誰を描いているのか スペイン・マドリードのアルカザール宮殿にベラスケスの大きなアトリエがありました。 『ラス・メニーナス』の舞台はこのベラスケスのアトリエだと考えられます。 ベラスケスは『ラス・メニーナス』のなかで大きなキャンバスに向かって作品を制作中していますが、この『ラス・メニーナス』の左端にある大きなキャンバスにはいったい誰が描かれているのでしょうか。 その候補には2つの説があります。 肖像画のモデルとなっているフェリペ4世夫妻はベラスケスの後ろの壁にかかる鏡のなかに映りこんでおり、ベラスケスやマルガリータ王女の目線はフェリペ4世夫妻がいる方向を向いています。 この説の通りであるなら、 『ラス・メニーナス』は王の目線で描かれた作品だということになります。 ベラスケスの横にいるマルガリータ王女は、夫妻の絵画制作のそばで何かをせがんでいるのでしょうか。 王夫妻の肖像画政策の邪魔にならないよう、侍女がマルガリータ王女に飲み物を差し出し気を引こうとしているのかもしれません。 この説の通りであるなら、じっとしていられない年頃のマルガリータ王女のために、王女の身の回りの世話をする侍女だけでなく、王女を楽しませる慰め者たちもアトリエにやってきているのだろうと考えられます。 マルガリータ王女をことのほか可愛がっていたといわれるフェリペ4世は、夫妻でマルガリータ王女の様子を見に来たところなのかもしれません。 鏡のなかに映るフェリペ4世夫妻の様子は、肖像画モデルとしてポーズを取っているようにも、マルガリータ王女の様子を微笑ましく見学しているようにも見え、どちらの解釈が正しいのか意見が分かれるところです。 ベラスケスの胸元に描かれた十字の謎 『ラス・メニーナス』のなかに描かれたベラスケスの胸元にはサンディアゴ騎士団の赤い十字章が描かれています。 しかし、ベラスケスが爵位を受けたのは1959年であり、『ラス・メニーナス』を描いたとされる1656年の時点ではベラスケスにはナイトの称号は与えられていませんでした。 そのため、この赤い十字章は後から描き加えられたものと考えられますが、ベラスケスが爵位を受けた年にベラスケス本人が描き加えたという説、ベラスケスの死後、王の指示により宮廷内の画家が描き加えたという説など諸説あり、誰がいつ描いたものなのか確定していません。 王族と共に描かれた慰め者たち ベラスケスは宮廷画家としてフェリペ4世や王族関係者の肖像画を多く手がけたほか、宮廷に暮らす慰め者と呼ばれる道化や矯人たちの肖像画も残しており、この『ラス・メニーナス』にも2人の慰め者が描かれています。 王族と慰め者がひとつの絵画に収まるのは大変珍しいことであり、王と慰め者をひとつの絵画に収めるわけにはいかずフェリペ4世を鏡の中に置いたとする説もあります。

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なぜ怖い? 華麗なバレエの本当の舞台裏を描いた、孤独な画家ドガ

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ラス・メニーナス ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス(女官たち)》1656年 プラド美術館所蔵。 門外不出の名画です。 登場人物 マルガリータ王女 マルガリータ王女は、フェリペ4世とマリアナの子供で、描かれた当時5歳でした。 中央でスポットライトが当たっているかのように、光輝いています。 ぱっと見、とっても細かく描いてあるように思えるこの絵… ドレスの部分をアップにしてよく見ると、結構筆のタッチが荒いことがわかります。 神ワザ…! 彼女は、血族結婚の弊害から21歳という若さで亡くなってしまいます… 描かれなかったもう1人の王女 実はマルガリータ王女以外にも、もう1人の 王女マリア・テレサがいました。 どうして描かれなかったのかというと、マリア・テレサは 先妻イザベルの娘だったからです。 イザベルは娘を産んで亡くなります。 この絵では、マルガリータとその両親の肖像を描いているので、省かれています。 なんか可哀想…。 女官たち マルガリータ王女の左右にいるのは女官たちです。 イサベル・デ・ヴェラスコはお辞儀のしぐさを、 マリア・アグスティナ・サルミエント・デ・ソトマイヨールは、ひざまずいて、マルガリータ王女に金のトレイに載せた 赤いカップを差し出しています。 小人たち 右側には2人の小人がいます。 王妃のお気に入り、ドイツ人の マリア・バルボラ(通称マリバルボラ)は軟骨無形成症です。 彼女は、気が強く、自分に対する侮辱は決して許さないところから、恐れられていました。 ニコラのことをとても可愛がっていたそう。 イタリア人の ニコラ・ペルトサートは、マスティフ犬に足を乗せています。 決していじめている訳ではありません。 なぜならこの犬は、ニコラが飼っている 愛犬のモーゼで、子犬のとき、桶に沈められているのをみて助けた犬だからです。 (川から助けられた聖人モーゼが名前の由来) 彼も能力が認められ、後に 国王の執事を務めています。 怖い話 当時のスペイン宮廷では、 「慰み者」と呼ばれる、白人とは身体的特徴が異なるもの(高身長、超肥満、黒人、異形など…)が集められていました。 絵の2人を見てもわかるように、綺麗な服を着ていますよね。 贅沢な暮らしができたそうですが、それは、彼らが人間として、ではなく、可愛い 「ペット」として扱われていたからでした。 シャロペン 王女のシャロペン(社交界デビューする際の付添人) マルセラ・デ・ウリョーアは、喪服を着ています。 隣の目付役の名前は不明です。 王妃の侍従 右奥にいるのは、王妃の侍従 ドン・ホセ・ニエト・ベラスケスです。 彼は、王室のタピストリー工場長でもありました。 画家 ベラスケスの親戚であった可能性もあります。 ベラスケス 左側には画家 ベラスケスがパレットと筆を持って、こちらを向いて立っています。 側には、イーゼルに支えられた大きなカンバスがあります。 このカンバスには、通常 国王夫妻が描かれていると考えられていますが、 マルガリータ王女を描いているんじゃないか説もあります。 ナイトの印は後で描き加えられた? 後にナイトの称号を得ますが、この絵を描いている時点では、まだ サンティアゴ騎士団の称号はありませんでした。 なのでベラスケスの胸にある、サンティアゴ騎士団の 赤い十字は、後に誰かの手によって描き加えられた、ということになります。 いつ誰が描いたのか正確にはわかっていませんが、ベラスケスの死後、 フェリペ4世が描き加えるように指示した、もしくは王自ら描いたのでは?といわれています。 画家のパレット …なんか赤茶色しかなくない?あと黒。 王に愛されし画家なのに、 色のバリエーション少なくない??? 当時、今のような 絵の具チューブは無いので、 自然のものをすりつぶしていい感じにしてそれを絵の具として使っていました。 赤茶色はわかりやすく 土系のものです。 なので安い。 逆に青色などは、ウルトラマリンという 宝石が原料だったりするので、とっても高くて、貴重なものでした。 なので、安価な絵の具とは別で用意して描いていたんでしょう。 ここで赤茶色の絵の具だけのパレットを描くことで、 「高価なものを使わなくても、素晴らしい絵が描けるんだぞ」っていう、一種のアピールでしょうか。 ドヤ顔かな? 誰よりも高い位置にいる 誰よりも 頭の位置が高いんです。 これが何を表すのかというと、この画面を支配しているのは、ベラスケス、私だ!ということをほのめかしているんでしょうか。 だとしたらさりげない。 よく考えると、 王室メンバーと一緒に自分を描いちゃうっていうのも度胸というか、自分の才能や仕事への自信の現れでしかないですよね。 こんな対等な描き方、普通できません… これ、西洋美術でも初めての例なんだとか。 王室との信頼関係が厚いからこそですね。 鏡の中の国王夫妻 鏡に映る2人は、 フェリペ4世と 王妃マリアナです。 なぜこれが 絵ではなくて 鏡だとわかるのかというと、貴族階級の人を肖像画に描くとき、 男性が左、 女性が右という決まりがあるのですが、この絵では 左右逆だからです。 肖像画だけでなく、公式の場などでもそう決まっています。 フェリペ4世ってだれ?っていうのは、を読んでもらえるとわかりますが、簡単にいうと、ベラスケスを雇用している人です。 ベラスケスが大好き。 解釈その1 ベラスケスは国王夫妻の肖像を描いている最中で、2人は 絵のポーズをとっているところ。 鑑賞者の位置に国王夫妻がいることになるので、 鑑賞者は、国王夫妻の目を通して、この絵を見ることができ、 絵の中に入り込んでしまったような気分になれる、大変面白い作品です。 解釈その2 ベラスケスが描いている絵、 カンバスの表面が映っている。 重要な事実 ただし、ベラスケス作の 国王夫妻が一緒に描かれた 肖像というものは 存在していません。 この絵が唯一2人が一緒に描かれている作品です。 ちなみにフェリペ4世は、年老いた自分の姿を描かれることを嫌っていましたが、これは許したそう。 画中画 左上:ルーベンス《パラスとアラクネ》 ピーテル・パウル・ルーベンス《パラスとアラクネ》1636-1637年 織物が女性な普通の人間 アラクネが、 パラスという 女神(学芸や戦いの神。 神話によって呼び方が変わりますが、アテネ、ミネルヴァと呼ばれることもあります)に、勝負を挑んだところ、 女神パラスに「柄が気に入らない!」とキレられて、殴ろうとしているシーンが描かれています。 その後アテネは「命だけは助けてやろう…」ということで、蜘蛛の姿に変えられてしまいます…。 右上:ヨルダーンス《アポロンとパン》 ヤーコブ・ヨルダーンス《アポロンとパン》1636-1638年 一番左にいる アポロン(芸能・芸術の神)は、竪琴の名手です。 そんなアポロンに音楽勝負を挑んだのは、右から2番目の半人半獣の 牧神パンです。 牧神パンは笛を吹きました。 その結果、審判役の左から2番目、 山の神トモロスは、 「アポロンの勝利!」 それに対し、一番右の ミダス王(パンの崇拝者)が 「異議あり!」 アポロンは怒り、 「堕落した耳だ!!!」ということで、 ミダス王の耳を ロバの耳に変えてしまいます。 絵ではこのシーンが描かれています。 ロバの耳になってしまった後のストーリーが 「王様の耳はロバの耳」です。 2枚とも、 神々が 芸術的な問題で、 人間と競争している物語が描かれています。 「傲慢さは身の破滅を招く」という教訓が描かれています。 絵の苦難 左右切り落とされている 元のサイズより、 左右とも切り落とされてしまっています。 右側の方が大きく切り取られてしまったそう。 この作品がいつどうして切り取られてしまったのかは不明ですが、室内に飾るときに大きすぎたから切ったんでしょうね。 火災 1734年アルカサル城は 火災にあい、作品も損傷を受け、宮廷画家のホアン・ガルシア・デ・ミランダが修復しました。 特に、 マルガリータ女王の左頬部分のダメージがひどく、ほとんど全て塗り直してあるそう。

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