伊与田成美。 ❤あおぴた💛(@pit_bom_sster)のプロフィール

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伊与田成美

今回は、発達心理学者と家族心理学の研究者・柏木惠子先生をゲストにお迎えし、生涯発達論についてお話しを伺いました。 研究者の立場からの国際的なデータに基づくお話しは、非常に説得力があり、これからの活動について新たなヒントを得られる有意義な時間でした。 11東日本支援クレヨンネット 「子どもの絵が語る心の記憶」展覧会 いわきとNYにて開催 クレヨンネットの活動がはじまって1年目の節目として、いわき市立美術館(福島県)と米ニューヨークの教会の2箇所で、ボランティア活動で描かれた絵の展覧会が開かれました。 参加者の方々は、自ら体験し、さらに子どもたちの絵を見ることでアートセラピーの効果を深く感じられたようです。 これは、長年にわたりカンボジアで小児病院の建設などの支援活動を行ってきた「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」の企画で、「PEACE ART 2012」の一環として行われたものです。 ニューヨークでも、日本の震災や原発事故への関心は高く、展覧会会期中に行われた募金活動で集まったお金はクレヨンネットへ寄付されました。 表現力を高めるためのワークショップあり、子ども時代から現在までのヒストリー的なお話しあり、涙あり笑いあり、そしてセラピストとしてのヒントがいっぱい詰まった時間でした。 今年は東日本大震災などもあり、アートセラピーの効果や活動姿勢などをあらためて考えさせられる出来事も多かった年。 参加者一人ひとりがそのことについて真剣に感じ、考えた2日間だったようです。 「アートセラピーの現場から社会を動かしたい!」という情熱で個々の会員の方々が実践活動の場を広げてきました。 また、自らの能動性で社会を動かしていく、自立ということについて考えた時間でもありました。 カウンセリングの中でバウムテストなどのビジュアル表現を積極的に取り入れられている徳永先生に、言葉を越えたコミュニケーションの大切さについて語っていただきました。 また、色彩セラピーの現場での実践例なども見ながら、絵を通しての無意識との対話について考えた2日間でした。 そんなネガティブな感情を自分らしく生きる力に換えるにはどうしたらいいのか?日本全国で訪問カウンセリングを実践してる家族カウンセラー・中尾英司さんをゲストにお迎えし、2日間にわたって、心の尊厳を取り戻すセラピーについて考えました。 「子どものストレス=大人のストレス」をテーマに事例報告やワークショップを共にし、充実した2日間になりました。 「色彩学校」ソウル校の代表・白楽善先生からは、心身の問題を抱える子どもたちを対象にしたアトリエ活動についての報告もあり、末永蒼生の「色が語る、ストレス活用の鍵」と題した講演を聞きながら、日韓両国で改めて色彩を使ってできるストレスケアの可能性について考えました。 子どものように無心に色をぬることが、なぜ大人を生き生き楽しくさせるのでしょう。 今回は、20年近くに渡ってぬり絵セラピーを研究、実践してきた末永蒼生とともに、ぬり絵の魅力や効果に新たな光を当ててみました。 さらにゲストとして、日頃から「養生」の大切さを説き、東洋医学や各種セラピーを取り入れたトータルなケアをされている内科医の恒川洋先生をお迎えし、医療の分野から「自己表現と健康の関連」についてお話をうかがいました。 また、末永蒼生の講演会「メンタルケアにおける色彩の可能性」では、メンタルケアにおける色彩の持つ独自性や色彩ならではの有効性についての事例を交えた話に、会場からあふれんばかりの参加者の方々もうなづきながら聞き入っていらっしゃいました。 後半は、5人の協会員の方たちの活動の様子をビジュアルを交えて紹介。 参加者も熱心に耳を傾けていました。 その受講生でもあり、韓国で美術による心理相談室を開設しているペク・ナッソン教授らをゲストに、末永とのトークが繰り広げられました。 日韓の子どもたちの絵を読み解いていく興味深い時間でした。

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NY式部会さんでのジュエリーパーティー : ニューヨークでクラフトアート&ヨガを楽しむ

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THE WORLD ITSELF~永劫への旅~ 過去から未来へと連なる一つの世界を、 人間は、自分の認識で切り取って対応する。 世界それ自体の構造は、太古から変わらないが、 人間は、事あるごとに認識の仕方を転換させ、 世界の構造を様々な形でイメージし、 そのイメージに沿って、生き方を変えてきた。 昆虫や獣には見えているのに、 人間には見えていないものが数多くある。 昆虫や獣がイメージしていないのに、 人間がイメージしていることが数多くある。 人間は、知覚できないことでも、 知識や理論によってイメージできる。 実際に見たり触れたりできなくても、 人間は、知識と理論によって世界をイメージし、 そのイメージに沿って、日々、活動する。 そうした人間活動の場が社会となり、 社会の中に発生する新しい知識と理論が、 再び、世界に対する人間のイメージを転換させる。 (風の旅人 編集長 佐伯剛) 【 表紙・裏表紙 】 表紙・裏表紙写真/川田喜久治 【 写真 】• 夢 〜縛めと赦しと〜 photos/Kim young Gap text/姜信子• フリードリヒ・ニーチェ 異端と正統は、時代とともに転変する。 人間社会の営みは、その時代ごとに正統とされる価値観によって管理されている。 一人ひとりの思考や行動特性は、正統と認められるものによってつくられた環境によって条件づけられているが、その環境に依存した一人ひとりの観念や行動の集積が、他でもないその環境を強化している。 しかし、自分の人生を振返ってみても、社会的に正統とみなされている基準に合わせて対応できない個人的な事態は何度もあった。 また、自分が真面目に従っていた組織の仕組みや価値観が、ある日を境に、あっけなく転換してしまったこともあった。 日本全体を見ても、長い鎖国時代から文明開化へと舵取りを変えたのが僅か140年前。 天皇が神から人間になったのは、ほんの65年前。 戦後の右肩上がりの経済成長も、オイルショックやバブル崩壊などとともに過去の神話となった。 また、人生の大きな節目となる就職にしても、時代を代表する花形産業が、数年後に衰退産業になることは珍しくなかった。 社会における価値判断は便宜上のものであり、いつか必ず、新たな価値に取って代わられる時がくる。 次々と現れては消えて、また新しく立ち現れる価値観のうつろいのなかで、人間の営みは転変を繰り返している。 社会的な価値基準は、一つのパラダイムにすぎず、その正統性を信じることは、あたかも夢の中にいるようなものであり、夢から覚めないかぎり、それが夢だとは気づかない。 現代社会は、メディアや教育を通じて執拗なまでに「現代の価値観」が強化されており、それ以外の可能性を意識しずらい状況にあるため、夢のなかにいながら夢であることが、非常に気づきにくい構造になっている。 それでもいつか、自分が拠り所にしている価値観が夢だったと覚る可能性は誰にでもある。 そうした時、全てが終わりだと絶望してしまう人もいるかもしれない。 もしくは、自らが信じる価値観に頑なに執着する人もいるだろう。 しかし、正統的な価値観が崩れる時は、この世の終わりでなく、あくまでも一つの転換期にすぎないと覚る潔さも必要になる。 「真理は、常に誤謬である」とニーチェは言った。 すべてのものは平等に無価値であり、終わりも始まりもない。 そうした究極のニヒリズムを受け入れ、それこそが人間の運命だと自覚したうえで、それでもなお無から新しい価値を創造し確立する強い意志を持つ者を、ニーチェは超人と呼んだ。 しがらみも伝統も秩序もまったくの無であるということは、そこからあらゆる新しい価値、新しい秩序が構成可能ということでもある。 しかしながら、一つの正統とみなされる価値体系が崩れつつあり、新しい価値体系が確立するまでの過程は、現代に限らず、いつだって不安定になる。 拠り所にしていた対象を失い、その不安定に耐えきれないと、人は自暴自棄になり、身を滅ぼす衝動にとらわれることもある。 そうした衝動が引き起こす凄惨なる事例を、私たちは、歴史の中に幾つも見ることができる。 しかしながら、この世界は常に同じではないという不安定さを、生の喜びに昇華させる新しい視点を獲得することも、人間には可能である。 春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり 西行 桜は散る。 満開の桜が散っていく時、私たちは、一つの夢が崩れていく瞬間に立ち会いながら、散る桜という新たな夢を見ている。 同時に、その夢がずっと続かないことも覚っている。 夢は必ず覚める。 しかし、夢の中の時間も自分の生の一部であり、その運命全体を愛する自分も、自分の中に存在する。 すべては必ず無に帰するということを自覚しながら、それでも世界の中に新しい価値を見出せる人がニーチェの言う超人であるならば、四季のうつろいをはじめとして変化する風景に慣れ親しみ大国の文化の影響を受けて価値観が揺れ動いてきた日本という小さな島国の歴史のなかには、西行に限らず数多くの超人が存在する。 人間だけに限らず、太古の昔から地球上の様々な生物は、環境が大きく変化するごとに世界の認識の仕方を変え、新しい対応の仕方を作り出し、生き方を変えてきた。 世界は、それ自身、常にそうした転変の繰り返しの場であり、その事実だけは間違いなく普遍的なものだと言える。 風の旅人 編集長 佐伯剛 生命の全体像 THE NATURE OF ORDER 過去から未来へと連なる一つの宇宙。 宇宙それ自体の仕組みは、始原より変わっていない。 宇宙の構成要素である物質と、 物質を動かすエネルギーの総和は不変であり、 物質とエネルギーとは相互に転換され得る。 物質とエネルギーが転換されると、場の状態が変化し、 それに応じた秩序ができるだけである。 宇宙に出現する現象は、物質とエネルギーの関係である。 人間社会もまた、これまでの歴史を通じて、 何度も、物質とエネルギーの関係を変化させ、 場の状態を変化させてきた。 人間は、そうした変化の全体像をどこかに記憶しているが、 自分が属する場の状態に応じた秩序に自分を適合させ、 それ以外の可能性は、一時的に忘却している。 人間社会も、宇宙も、その時々の場の状態に応じて 物質とエネルギーの関係性を持ち、形と動きを秩序化する。 その秩序は、固定的なものではなく、常に揺らいでおり、 揺らぎが増幅することで場の状態が変容し、 形と動きが劇的に変わり、新たな秩序が整えられていく。 生命とは、物質とエネルギーの関係性に応じて生滅する 躍動的な秩序的現象である。 (風の旅人 編集長 佐伯剛) 【 表紙・裏表紙 】 表紙・裏表紙写真/井津建郎 【 写真 】• 宇宙内で生じている現象は、誰がどこで見ようが、結果は同じでなければならない。 さらに科学的論理に基づく宇宙は、その内に存在するものが全て、必ず、互いに何らかの影響を及ぼしあう存在であることが前提になる。 ( E:エネルギー、M:物質、C:光速 ) この式は、我々の宇宙における物質とエネルギーは等価で、転換可能なものであることと、光速を超えた速度は存在しないことを示している。 エネルギーが物質になり、物質が質量の一部を失うと、エネルギーが発生する。 広島に落とされた原子爆弾が核分裂を起こした時、ウラン235(約50kg)のうち、7g程度の質量が消えたと推測されている。 現代は、科学技術の力で人間にとって都合が良く快適な世界を作ることが当然のように行われているが、そもそも科学によって宇宙の本質を探求する目的は、宇宙内の様々な物事の関係性と存在理由を知ることであった。 しかし、現実の人間世界は、現代科学が導いた宇宙式とズレが生じている。 公理の上では物質とエネルギーは等価なのに、人間は物質に固執し、物質のためにエネルギーが存在しているかのように考え、エネルギーの総量が無限であるかのような営みを続ける。 また宇宙内における現象は全て流動的な関係である筈なのに、人それぞれが自分に都合の良い状態を維持しようとするために軋轢が生じ、対立が深まる。 人間が作り出した科学的論理と、人間が選択している営みのあいだには乖離があるのだ。 本来、宇宙における人間の存在理由や関係の仕組みを示す筈の科学的論理が、原爆をはじめとして人間の利己的な都合のために使われ、結果として人間環境を脅かすことになってしまう。 人間の存在不安や関係への不信は、科学的論理によって解消されるどころか、益々増大する結果となっているのだ。 自分に都合の良い部分だけを切り取れば、当然ながら皺寄せは他の場所に行く。 自分の都合で物事を取捨選択する分別は、自我から発生している。 自我というのは、自分を中心にエネルギーと物質を集めようとする磁場や重力のような働きの一種で、人間だけが備えるものではないが、人間の自我は、優れた記憶力の働きとともに物事を固定化していく思考運動になりやすい。 宇宙においては、エネルギーと物質の転換は常に起こり、転換が起こることで場の状態は常に変化していくので、以前とまったく同じ場の状態というのは存在せず、それゆえ、場の中の物とエネルギーの関係性も常に変化していく。 しかし、人間の自我に基づく思考運動は、固定化していく性質のために変化全体を捉えることが得意ではなく、現象を個別の瞬間ごとに静止させて区分し、その枠に囚われ、物事の躍動的な関係を断ち切りがちだ。 結果として、自分自身もまた世界から切りはなされているという不安感に陥り、益々、自己防衛的になって自分の周辺の枠を強化する。 そうなってしまうと、物質からエネルギーへの転換も難しくなり、生気が乏しくなってしまう。 頑なな前例主義に陥り、活気の乏しい官僚主義は、その典型と言えるだろう。 宇宙に存在する物質やエネルギーが互いに関係を持ち、影響を及ぼしあっているという今日の宇宙論の前提は、そのような自我に基づく頑迷な思考によって曇らされる。 その偏狭な思考によって「今ある形」のみに囚われ、流れ全体や、自分と全体との関係性が見えなくなり、自らの存在理由がわからなくなる。 自分を守るための自我が、自分を蝕んでいくという悪循環に陥ってしまうのだ。 宇宙の全体像は、物質の寄せ集めではないし、決して固定した形でもない。 私達の生命は、その場ごとの関係性に応じて、その瞬間ごとに物質とエネルギーの複雑精妙な転換を繰り返しながら、形を生成し、やがて消滅していく。 やがて消える宿命だから形を成しても意味がないわけではなく、形を成すプロセスと消滅のプロセスは、他との関係を通して起こる次の段階へとつながっていくからこそ、生命なのだ。 たとえば人間は、学問を行い、論文を書いたりするが、その形を社会のエネルギーに転換しなければ学界という閉じた場での官僚主義に陥るし、会社での仕事もまた、日々、エネルギーを発揮して働いていても、次につながる形を作り上げているという感覚を得られなければ空虚になる。 形とエネルギーが互いに転換するダイナミズムを失うと生命感覚に乏しい状況になってしまうことは、私たちの身の回りを見渡すだけでも、知ることができる。 生きている人間が認識しづらいのは、私達の身体が消滅したら、それは本当にエネルギーに転換されているかどうか、もしそうならば、どのようなエネルギーとなって、この宇宙に存在しているかだ。 生命と宇宙は等しい。 私達が、生命活動として認識している有機物の活動にかぎらず、鉱物等の無機物、さらに人間の創造物も含め、形を成してやがて消えていくものは全て、宇宙内の物質とエネルギーの関係性に応じて生滅する現象である。 全ての現象は、宇宙の秩序に基づいて生じている。 人間の目で混沌に見えるものは、人間が、全体の一部を切り取って見るからであり、宇宙全体からの視点では、全ての現象は、他との関係性において、なるべくしてそうなっている秩序的現象である。 宇宙に存在する全てのものが、互いに影響を受けあいながら、誕生、成長、衰退、消滅を繰り返しており、全てが、一つの生とでも言うべき大いなる関係性のなかに存在している。 色即是空。 「色」は物質、「空」はエネルギー。 色と空は等価であり、常に転換するものである。 そもそも人間の科学的思考は、この広大な宇宙の中で、自らの存在理由を問うために始まった。 思考によって自らの内側に閉じてしまい、迷路に入り込むこともあるが、自我に囚われない視点で、常に原点に回帰する必要がある。 私達の宇宙は一つ。 その中の物質とエネルギーの総量は常に等しい。 それらは、その時々の場の状態に応じて互いに転換しながら異なる現象を生み出していくが、物質とエネルギーの比率が変わることで場の状態も変化し、その変化が新たな転換を引き起こす。 すなわち、私達の宇宙にとって、完全な終わりはなく、それは常に新たな始まりと同じである。 吹き抜けていく風は、物事に転換するエネルギーの凝縮した場である。 場のエネルギーが、何かしらのきっかけによって形あるものに転換する。 その形は、やがて姿を消してエネルギーに転換する間際であるから、生き生きと感じられるのである。 『風の旅人』という雑誌もまた、いつまでも形をとどめるものではない。 一つ一つの形が完結しているわけではなく、一つの形は、次の段階のエネルギーとなり、さらにそこから新たな形が生まれる。 その転換を繰り返すうちに、どこかの段階で「雑誌」という形でなくなることがあっても、エネルギーがあるかぎり、それが終わりなのではない。 全てのものは、それぞれの現実世界で、どんな風に生きて消えようとも、宇宙全体からの視点で見ると、そのプロセスは、生命全体の一部として、我々の宇宙を貫く公理にそって存在している。 hatenablog. この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば 藤原道長が詠んだとされるこの歌は、盤石な権力を手に入れ、得意の絶頂で詠んだ歌だというのが通説である。

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Peace Works 写真展 横浜ZAIM にて

伊与田成美

今回は、発達心理学者と家族心理学の研究者・柏木惠子先生をゲストにお迎えし、生涯発達論についてお話しを伺いました。 研究者の立場からの国際的なデータに基づくお話しは、非常に説得力があり、これからの活動について新たなヒントを得られる有意義な時間でした。 11東日本支援クレヨンネット 「子どもの絵が語る心の記憶」展覧会 いわきとNYにて開催 クレヨンネットの活動がはじまって1年目の節目として、いわき市立美術館(福島県)と米ニューヨークの教会の2箇所で、ボランティア活動で描かれた絵の展覧会が開かれました。 参加者の方々は、自ら体験し、さらに子どもたちの絵を見ることでアートセラピーの効果を深く感じられたようです。 これは、長年にわたりカンボジアで小児病院の建設などの支援活動を行ってきた「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」の企画で、「PEACE ART 2012」の一環として行われたものです。 ニューヨークでも、日本の震災や原発事故への関心は高く、展覧会会期中に行われた募金活動で集まったお金はクレヨンネットへ寄付されました。 表現力を高めるためのワークショップあり、子ども時代から現在までのヒストリー的なお話しあり、涙あり笑いあり、そしてセラピストとしてのヒントがいっぱい詰まった時間でした。 今年は東日本大震災などもあり、アートセラピーの効果や活動姿勢などをあらためて考えさせられる出来事も多かった年。 参加者一人ひとりがそのことについて真剣に感じ、考えた2日間だったようです。 「アートセラピーの現場から社会を動かしたい!」という情熱で個々の会員の方々が実践活動の場を広げてきました。 また、自らの能動性で社会を動かしていく、自立ということについて考えた時間でもありました。 カウンセリングの中でバウムテストなどのビジュアル表現を積極的に取り入れられている徳永先生に、言葉を越えたコミュニケーションの大切さについて語っていただきました。 また、色彩セラピーの現場での実践例なども見ながら、絵を通しての無意識との対話について考えた2日間でした。 そんなネガティブな感情を自分らしく生きる力に換えるにはどうしたらいいのか?日本全国で訪問カウンセリングを実践してる家族カウンセラー・中尾英司さんをゲストにお迎えし、2日間にわたって、心の尊厳を取り戻すセラピーについて考えました。 「子どものストレス=大人のストレス」をテーマに事例報告やワークショップを共にし、充実した2日間になりました。 「色彩学校」ソウル校の代表・白楽善先生からは、心身の問題を抱える子どもたちを対象にしたアトリエ活動についての報告もあり、末永蒼生の「色が語る、ストレス活用の鍵」と題した講演を聞きながら、日韓両国で改めて色彩を使ってできるストレスケアの可能性について考えました。 子どものように無心に色をぬることが、なぜ大人を生き生き楽しくさせるのでしょう。 今回は、20年近くに渡ってぬり絵セラピーを研究、実践してきた末永蒼生とともに、ぬり絵の魅力や効果に新たな光を当ててみました。 さらにゲストとして、日頃から「養生」の大切さを説き、東洋医学や各種セラピーを取り入れたトータルなケアをされている内科医の恒川洋先生をお迎えし、医療の分野から「自己表現と健康の関連」についてお話をうかがいました。 また、末永蒼生の講演会「メンタルケアにおける色彩の可能性」では、メンタルケアにおける色彩の持つ独自性や色彩ならではの有効性についての事例を交えた話に、会場からあふれんばかりの参加者の方々もうなづきながら聞き入っていらっしゃいました。 後半は、5人の協会員の方たちの活動の様子をビジュアルを交えて紹介。 参加者も熱心に耳を傾けていました。 その受講生でもあり、韓国で美術による心理相談室を開設しているペク・ナッソン教授らをゲストに、末永とのトークが繰り広げられました。 日韓の子どもたちの絵を読み解いていく興味深い時間でした。

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