さだまさし インスタ グラム。 さだまさし、インスタで呼びかけ 強制力伴わない緊急事態宣言は「自由の国の証」(デイリースポーツ)

「在宅宣言(さだまさしさんの関白宣言バージョン)コロナウィルス対策!! 」+「バルーンパンツ」4/23(木) : あばばいな~~~。

さだまさし インスタ グラム

シンガー・ソングライターのさだまさし(68)が24日放送の日本テレビ「行列のできる法律相談所」(日曜後9・00)に出演、ダウンタウン・松本人志(56)との交流を明かし、共演者の驚きの声を誘った。 ソーシャルディスタンスが取られたスタジオに登場したさだは「(他の出演者と)遠いです、声帯痛めそうです」と、まずは得意のジョーク。 MCを務める東野幸治(52)から「松本さんもライブに足を運んでいると聞いたことがある」と話を振られると「松本さんも来てくださいますね、サシ飲みとかします」と告白した。 「えー!?」との声が響く中、「2人で話していると楽しいんですよ。 すごいあの人はマジメな人なので自分の道に対して。 その道の話になったら面白いですね」。 自身の知人が「シャレ」で、さだの名刺を作ってくれたと前置きし、「お目にかかった時によろしくとか言って、電話番号が書いてあるんですけど、まずかかってこないんですよ。 でも、松本さんは電話をくれたんですよ」と、驚きの表情で語った。 先輩・松本に興味津々の東野が、「お店はどっちが決めるの?」「先に松本さんが、何分か前におったんですか?」と質問。 店はさだが決めたといい、「僕は時間よりも5分前に行ったんですけど、おられました」と、松本のマジメな一面を明かしていた。

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加工アプリも自由自在!さだまさしさんのインスタグラムが若すぎると話題に!

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来年になったら、きれいな花がいっぱい咲く 現在、新型コロナウイルスの感染防止のため、音楽業界は自粛による大きな打撃を受けている。 1973年から半世紀近く音楽活動を続けてきたさだに、現在のピンチをどのように乗り越えるべきかを問いかけた。 さだ:これはもうしょうがないですよ、耐えるしかない。 要するにこれが終わるまでは生き延びてやろうと思うしかないですよね。 西沢:さださんは人とおしゃべりをするのがお好きなようにお見受けするんですが。 さだ:嫌いじゃないですね。 西沢:こんなおしゃべりな方が家でじっとしているのは、なかなか大変なんじゃないのかな? と思いまして。 さだ:いや、そんなに自分からワイワイしゃべるというか、つつかれるととめどなくしゃべるタイプなので。 つつかれないと、おとなしくしています。 西沢:スイッチを入れないとじっとしているんですか? さだ:そうそう。 スイッチを入れないとじっと本を読んでいますよ。 西沢:あら、始末がいい! さだ:いいでしょ? 西沢:飼いやすい。 さだ:いいしつけでしょ? 『存在理由~Raison d'etre~』には、小田和正とのコラボレーション楽曲『たとえば』も収録。 西沢が「フォークの時代からつながる『2大きれいな声の人』が歌っている」と称賛すると、さだは照れ隠しなのか、ジョークで応戦した。 さだ:とんでもない、僕は2大には入らないですけどね、荷台(にだい)に乗っかっているほうです(笑)。 西沢:(笑)。 うまいなあ、相変わらず。 さだ:いやいや、なにを言っているんですか。 西沢:もったいないな、こういう人のトークをライブで聴けないのは。 さだ:だけど、秋にライブが解禁になるとするじゃないですか。 みんな一斉に歌いだすでしょ? お客さんついてきてくれるのかしら……? 西沢:みんなリリースも止めているし、映画の封切りも止まっている。 さだ:そう。 なにもかも止まっているんですよ。 西沢:堰(せき)を切ったようにワーッと世の中に出てきますね。 それはそれで楽しみなんですけれども。 さだ:来年になったら、きれいな花がいっぱい咲くでしょうね。 今みんなは曲作りをしていますから。

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さだまさし「偽善でいいじゃないか」 ボランティアへの思いを語る(J

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緊急事態宣言が発令された3日後の2020年4月10日、さだまさしがオフィシャルYouTubeとLINE LIVEで「緊急事態宣言の夜に」と題した楽曲を披露した。 〈お前のおふくろを 死なせたくないんだ〉ではじまるこの曲では、ウイルスに罹らないことの重要性、生活インフラを守る〈警察、消防、郵便、宅配、コンビニ、薬局、スーパー、自衛隊のみんな〉、そして医療関係者に対する感謝とエール、さらには争いを超え、連帯を求める〈今 ひとつになろう〉といった呼びかけが歌われており、発表直後から大きな話題を集めた。 リアルサウンドでは、さだまさしに「緊急事態宣言の夜に」を軸としたインタビューを行った。 同曲を発表した経緯、歌に込めた思い、新型コロナウイルスによって甚大な影響を受けている現状について話を聞いた。 その3日後の4月10日に、YouTube、LINE LIVEで「緊急事態宣言の夜に」を発表して、大きな話題を集めました。 4月7日に緊急事態宣言が発令されて、その日がたまたま僕の母の命日だったこともあって、『「緊急事態宣言」に今 思うこと』というエッセイを書いたんです。 最初は「Masa@Mania」(まっさマニア)というファンの方向けの月額サイトにのみ公開しようと思っていたら、スタッフから「これはたくさんの人に発信しましょう」と言われ、公式のInstagram、LINE、Twitterなどに載せて、さらに翌日、そこで書いたことを歌にしました。 さだ: ええ。 4月10日は僕の誕生日だったんですが、「こんな日にコンサートもできなくて、何も発信できないのは寂しい」と思い、レコード会社に頼んで、オフィシャルYouTubeとLINE LIVEで生配信ライブをやらせてもらって。 歌を歌ったり、バカなことを話したり、みなさんに楽しんでもえることをやろうと思っていたんだけど、緊急事態宣言を受けて、何も意見を言わないというのは何だか卑怯な気がしてしまって。 それで、作ったばかりの歌を歌おうと。 直前まで迷いましたけどね。 「どうしよう、でも、歌うか」と決心したのは、生配信が始まってからでした。 (歌詞の)推敲もできていないし、メロディも不安定だから、おそらく歌い出しと途中ではメロディが変わってるんですよ。 ほぼ即興で歌ったようなものだし、新曲の発表というわけではないんです。 そのときの僕の思いを音楽家としてぶつけたと言うのかな。 エッセイと同じで、賛同してくださった方もいれば、反対意見もありましたね。 その気持ちもよくわかるんです。 だけどね、僕が文句を言って解決するならともかく、「カッコつけて言ってるだけ」みたいになるのが悔しくて。 だったら、〈お前のおふくろを死なせたくない。 だから俺はこの病気に罹らないように努力するし、お前に会わない努力をする〉ということを歌うべきだなと。 全員が抗体を持つまで終わらない病気ですから、ウイルスをできるだけ遠ざけて、薬とワクチンを待つしかない。 とにかく逃げるという作戦ですよね。 「コロナウイルス」という名前の宇宙人が攻めてきて、こんなにも人を傷つけているのに、人間同士が争っている場合じゃないし、「家で我慢する」という戦いなら出来るんじゃないか、と。 ただ、「家でじっとしていたら、世の中が動かない」という役割の方もいらっしゃるんです。 さだ: はい。 生活インフラに関わるみなさんには、感謝を捧げないといけないなと。 こういう時期にゴミを集めて、処理してくださる方々がいるんですよ。 怖いですよね。 誰が鼻をかんだか分からないティッシュがいっぱい入ったごみ袋が、バラッとほどけてしまったり……。 防護服も着ていないのに大変ですよ。 本当に頭が下がるし、感謝の思いでいっぱいですよね。 警察、消防署、宅配、自衛官のみなさんもそうだし、もちろん医療関係の方々もそう。 僕の知り合いの若いお医者さんから、「(医療の)現場に入るとき、遺書を書く同僚がいる」という話も聞きました。 重症化するリスクがある以上、そういう覚悟で医療に当たっているということですよね。 そういう決心が伝われば、なるべく不要不急のときに「家から出ない」ということは僕たちにもできるはずだと思うんです。 そのあたりのことは(「緊急事態宣言の夜に」のなかで)歌に入れられなかったから、次に披露するまでに直すつもりです。 歌うチャンスがいつ来るのかはわからないですけどね。 少なくともレコードにするつもりはないですが、これが音楽家として僕にできることです。 ライブの開催はしばらく難しい状況だと思いますが、今後はどんな活動をしていこうと考えていますか。 さだ: 表現者として歌を作ることはもちろんですが、発信を続けたいと思ってます。 仲がいいからこそ、「(スタジオには)来ないでね」っていうことですね。 その他にも、YouTube、LINE LIVE、インスタライブなど、いろんな形で伝えていけたらいいなと。 表現するのが僕らの仕事ですからね。 Real Sound、2020. クラシック、フォーク、童謡などのテイストを取り入れたサウンド、深みのあるメッセージを含んだ歌をたっぷりと堪能できる作品となった。 まず、このタイトルに非常に感銘を受けました。 まさにいまの時代に必要な言葉だし、すべての人が意識していることだと思います。 さだまさし: そういうふうになってしまいましたね。 スタッフのみんなも気に入ってくれていたし、「アルバムのタイトルもこれでいこうか」と決めたんですが、今年の2月にアルバムの制作に入ったとたん、コロナ禍が日本を襲って。 「なぜ昨年、この歌を作ったのかな」と思いながらアルバムを作っていました。 この国の人たちの礼節や秩序といったものを自分はもっと評価していたんですが、現実はどうも違うようで。 善と悪という考え方にしても、以前はもっと柔軟性があったと思うんです。 いまの社会では善と悪を分けすぎていて、それが不幸につながっているところもあるなと。 さだ: 確かにいま起きている事件や騒ぎを見ると、僕が思っていた日本とはずいぶん変わってきたなと思うんですよね。 自分の歩調がズレているのではという怖さもあるし、寂しさや苛立ちもあって……。 いまの状況もそう。 東日本大震災のとき、あれほど秩序立った姿を見せていた日本人が、いまの状況の中で信じられないような行動をしているじゃないですか。 様々な情報を目にしながら「いったいみんなどういうふうに考えているんだろう?」と途方に暮れますね。 もう一つの軸となっているのが「ひと粒の麦〜Moment〜」で、これはアフガニスタンで亡くなった中村哲さん(医師)に捧げた歌なんです。 アフガニスタンは内戦で疲れ果て、働く場所もなく、兵士にならないと生活ができない状況があって。 「なぜ撃つのか?」も分からないまま、銃を撃ってるんですよね。 中村さんはそういう場所に行って、「この人たちを救うには、診療所で医者として関わっているだけでは無理だ」と思い、水路を作った。 そんな尊い方が銃弾に倒れてしまい、僕自身もすごく悔しかったんですよね。 なのでぜひ、中村さんに捧げる歌を書きたいと。 中村さんとは面識があったんですか? さだ: じつはお会いしたことがなくて。 ただ、つながりは感じていたんです。 ナガサキピースミュージアム(さだまさしの呼びかけで集まった募金により2001年に建立されたミュージアム。 「平和の素晴らしさを身近に感じられること」を展示の基本としている)の仲間が、勉強会として中村さんに講演をお願いしたことがあって。 ペシャワール会(中村哲氏のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体)とのつながりもあったし、いつかお会いできるだろうなと思っていたんです。 あと、北九州の沖仲仕を束ねた玉井金五郎を描いた『花と龍』という小説(火野葦平著、岩波現代文庫)があるのですが、中村さんは玉井金五郎の孫なんです。 僕の母方の曽祖父(岡本安太郎)も明治時代、長崎港で港湾荷役を取り仕切った任侠だったから、勝手に親近感があって。 ただ、玉井金五郎の孫と岡本安太郎のひ孫はあまりにも差があり過ぎますけどね(笑)。 そんなこともあって中村哲さんに捧げる歌を書いたわけですが、出来上がったものを聞くと、中村さんからの手紙を受け取ったような気がしているんですよ。 日本侠客伝 花と龍(予告編) 花と竜 村田英雄 「柊の花」に隠されたモチーフ 小田和正や笑福亭鶴瓶との関係性も さだ: 音楽的なところで言えば、「柊の花」が軸になっていますね。 去年の秋、澤和樹さん(東京藝術大学学長/バイオリニスト)と藝大の奏楽堂でコンサートをする機会があって。 そのときにアルバム1曲目の「さだまさしの名によるワルツ」という曲を澤さんが書いてくださったんです。 A(ラ)、D(レ)、A(ラ)には音階があるんですが、じつはSにも音階があって。 (MASASHIの)Mという音はないんですが、「M=無で、休符にしました」と。 そのときのライブと同じように藝大の生徒のみなさんに演奏していただいて、アルバムにも入れようということになって。 さらに「澤さん、僕の歌でもバイオリンを弾いてくれませんか?」と言ってみたら、「やります」と言ってくださいました。 素晴らしかったですね、澤さんの演奏は。 技量はもちろん、音色も本当に美しくて、音楽をやる人間として、ときめく瞬間でした。 子どものときの自分に「将来、藝大の学長がお前の歌でバイオリンを弾いてくれるぞ」と言いたいですよ。 たぶん信用しないでしょうけど(笑)。 アルバムには他のアーティストに提供した楽曲のセルフカバーも収録されていますね。 さだ: そうなんです。 いつもコンサートの合間にアルバムを制作していて、今回も3月、4月にアコースティックツアーを予定していたんです。 アルバムの制作は2月だったから、スタッフが出来るだけ僕の負担を減らそうと、「他のアーティストに差し上げた歌を歌う気はないですか?」と提案してくれて。 試しに歌ってみたら、「案外いいな」と思ったんです。 ただ、難しかったですけどね(笑)。 岩崎宏美に書いた曲(「残したい花について」)を歌ったときは、「宏美、上手いな」と思ったし(笑)、トワ・エ・モアに提供させてもらった「桜紅葉」を歌って「白鳥(英美子)さんはいい声だなあ」と。 歌の内容はもちろん、彼らが歌うことを想定しているわけですが、セルフカバーするにあたってはどんなことを意識していましたか? さだ: 客観的に歌わないといけないと思っています。 「ここは俺に歌わせてよ」「ここは無理だな」なんて言いながら、楽しくやりました。 さだ:「たとえば」は以前から「アルバムに収録してほしい」とリスナーからも望まれていた歌の一つなんです。 ただ、小田さんと一緒に作った曲ですからね。 僕から先に動くのは失礼だと思っていたし、小田さんも「さだを抜きにしては形にできない」と思っていたようで、なかなか実現しなかったんです。 それがなぜか、このタイミングで小田さんも僕たちもTBSさんも「この曲をそのままにしておくのはダメだよね」ということになって。 もともとテレビのライブ音源だし、作ったのが2007年で、音の作りが今とはだいぶ違うから、小田さんがミックスし直してくれたんです。 それを(アルバムに収録されている)他の楽曲と違和感がないように、さらにリミックスさせてもらって。 小田さんにも「もっと良くなったね」と言ってもらいました。 大先輩だし、憧れていました。 グレープの頃、オフコースと一緒に北海道でツアーを廻ったことがあるんです。 オフコースの二人はギターも歌も上手くて、とにかく最高で、僕たちも彼らのライブを観るのが楽しみでした。 当時、オフコースにはまだヒット曲がなかったんです。 グレープには「精霊流し」というヒット曲があったから、小田さんたちは頑として譲らず、「俺たちが先に歌う」と。 あの二人が先に演奏すると、グレープは辛かったですねぇ。 あとはもう笑いを取るしかない。 さだ: 崇拝しかないですね。 当時の事務所の大先輩が赤い鳥だったんですけど、赤い鳥とオフコースは、『第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』(1969年)の1位と2位なんです。 小田さんの前に行くと、いまだにどこか緊張しますね。 年上の方を呼び捨てするのは、泉谷しげると笑福亭鶴瓶だけなんで(笑)。 鶴瓶はずっと「鶴瓶」です(笑)。 鶴瓶はね、グレープのファンだったんですよ。 彼がまだ売れていない頃、僕にファンレターをくれたんです。 コンサートで名古屋に行ったとき、飲んで帰ってきたら、ホテルのフロントに鶴瓶が手紙を置いていて。 それを受け取って「どういう人?」って聞いたら、「落語家なんですけど、『ミッドナイト東海』という深夜番組で名古屋に来てるんですよ」と。 まだ放送している時間だったから、タクシーで東海ラジオに行って、番組に押しかけたんですよ。 そのときから仲良くなったんだけど、まあ、いい時代でしたね。 キャンペーン」テーマ曲(ペンギンフィルハーモニー寒厳楽団名義)のセルフカバーです。 さだ: 原曲の「ペンギン皆兄弟」はプロジェクトリーダーの倉本聰先生から「テーマ曲を書いてほしい」というお話をいただいて書いたのですが、ずっと人気が高かったんです。 あれから20年以上が経って、これだけ環境が悪くなって、いろんな問題が起きて。 「あのときのペンギンたちも言いたいことがあるんじゃないですか?」とスタッフからの強い要望があって、セルフカバーすることにしました。 原曲はラテンだったんですが、編曲の倉田信雄に「何かアイデアある?」とお願いしたら、ハワイアンにしようとなって。 柔らかく聴けるだろうし、歌詞でキツイことを言ってても、「ペンギンが何か言ってるな」と思ってもらえるんじゃないかな、と。 さだ: いちばんは子どもたちの問題ですよね。 子どもたちの未来が大人に壊されるなんて、そんなことはあってはいけないので。 昔は、町の人みんなで子どもを育てていました。 困ってる子がいれば手を差し伸べるし、悪いことをしている子がいれば、叱ってくれる大人がいて。 いまそれをやったら、変質者扱いでしょ。 人と人が常に疑い合ってるというのかな。 そこにやってきたのが、人と人を引き離すウイルス。 現代を象徴する病気ですよね。 さだ: ありがとうございます。 「おかあさんへ」は、小林幸子さんに提供した曲なんです。 『蛍前線』(2013年、さだまさしのプロデュースによる50周年記念曲)というシングルのB面に入っているんですが、彼女は母上ととても仲が良くて、亡くなってからずっと寂しい思いをしていたので、少しでも元気づけてあげたいなと思って書いた曲で。 その後、僕も母を失くして……「おかあさんへ」という曲は、うちの女性スタッフの一押しだったんですよ。 ただ、アルバムに入れるかどうかは、最後まで迷ってね。 最終的なジャッジは、プロデューサーの渡辺俊幸さんに委ねたんです。 そうしたら「まっさん(さだまさしの愛称)、これは歌うべきだと思う」と。 そこから二人で相談して、童謡として歌うことにしたんです。 「心かさねて」は長崎の被爆から75年が経ったことがきっかけですね。 原爆の生き字引の方々、語り部のみなさんが少なくなっています。 この状況ですから、夏のイベントの開催は難しいと思いますが、長崎から世界に向けて平和を呼びかける歌を届けることは意味があるなと。 最近は、広島の原爆の日、長崎の原爆の日を知らない方も多いじゃないですか。 8月6日、8月9日という日付は何となく知っていても、8時15分、11時2分という時刻まで覚えている方は少ないでしょう。 僕が子どもの頃は、毎年8月9日の11時2分にサイレンが鳴って、野球をやっていても、黙祷を捧げたんですよね。 75周年で「心かさねて」という曲を書き、アルバムに入れられたのは良かったと思います。 いつかきっと、長崎でみなさんと一緒に歌えたらいいですね。 歌を作り、発表できる立場にあることを感謝しなくちゃいけないし、発信はし続けない。 コンサートは出来ませんが、いままでにはなかった自由時間をもらえたと思っているんですよ。 読みたくてもずっと読めないでいた本を読んだり、書かなきゃいけないと思いながら、暇がなくて取り掛かれなかった小説を書いたり。 音楽作りの時間を解放して、プロットを書くとか、そのための資料を準備するとか、そういうことをやってます。 ただ、やっぱり音楽家ですからね。 ギターも弾きたくなるだろうし、「いまのはちょっといいフレーズだな」と思えば、曲にしたくなる。 そういう自分を楽しみながら、日々を過ごしていきたいですね。 Real Sound、2020.

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