真矢 みき 宝塚。 アラフォー必見!大人の魅力♡ 【元宝塚・真矢みき】の髪型12選

真矢ミキが宝塚花組男役トップスター時代は革命児と呼ばれていた!

真矢 みき 宝塚

この写真集で 現役でありながらスカート姿の写真も披露していました。 宝塚の男役の場合はプライベートであっても女性らしい姿はNGと言われているので、それを破って撮影ですから、なかなかの革命児っぷりですね! また、宝塚音楽学校の成績が同期39人中で37位にもかかわらずトップスターになったことも革命児伝説の始まりだったのでは?インタビューの際は自分で「劣等生」と話していたそうです。 「宝塚の男役は長い歴史のなかの様式美があって私が入った頃は今より自由度も少なく、男役とはこういうものです、と歌舞伎の形(かた)のような男役像を日々学び習得していた毎日でした。 引用:NEWSポストセブン このように感じていた真矢ミキは自身が共学出身ということもあって、リアルな男子について試行錯誤して自分らしい男役を作り上げました。 やはり守破離というようにまずは型を知りつくして破るということができるのでしょうね。 結果、ファンに認められて 「ヅカの革命児」の伝説になったのでしょう! 真矢ミキの宝塚時代の同期や相手役はどんな人? 真矢ミキは宝塚歌劇団67期生ですが同期には黒木瞳、涼風真世などがいます。 ちなみに真矢ミキは中学卒業後、黒木瞳と涼風真世は高校卒業後に宝塚へ入学したので真矢ミキが3歳年下です。 黒木瞳は月組トップ娘役でした。 涼風真世は月組トップスターでした。 有名な相手役は1995年の「エデンの東」の純名 里沙ですね^^ 今日は花組デー? 映画「エデンの東」の次はミケランジェロ エデンの東はミキちゃん(アノ真矢みきさん)とジュンナ(アノ純名里沙さん)のお披露目公演だったんですよ。 宝塚を退団後は所属した事務所から戦力外通告もされ、それでも負けずに「踊る大捜査線」のオーディションを受け見事に復活! その後は女優だけではなく、朝の情報番組TBS[ビビッド」でMCとしても大活躍! これからも色々な方面での素敵な姿に期待しましょう^^.

次の

真矢ミキが宝塚花組男役トップスター時代は革命児と呼ばれていた!

真矢 みき 宝塚

真矢みきが宝塚に入団するまでのプロフィールと昔の逸話 真矢みきさんは宝塚歌劇に入団するまでは普通の女の子でした。 そんな女の子がどんなきっかけで宝塚歌劇に憧れ、試験を受けたのでしょうか。 子供のころは父の職業柄、転勤を繰り返す実家 真矢みきさんは生まれは広島市西区の南観音町。 ただ父親の職業が航空業界だったこともあり、4歳からは転勤を繰り返します。 そして真矢みきさんのお母さんは宝塚のファンだったんです。 女子高の演劇部出身だったお母さんが、宝塚を勧めました。 真矢みきという芸名を考えたのもお母さまなのですが、この話は後で詳しくお話しします。 中学で豊中へ!中卒で宝塚歌劇を受験 転勤を暮らしていた真矢みきさんでしたが、中学生の時は大阪の豊中市へ。 豊中市立第二中学校へ在籍時に宝塚コドモアテネ 内部リンク で日舞を習うようになります。 宝塚コドモアテネとは小学4年生から中学2年までの女子学生が声楽・バレエ・日舞を習う場所。 もともと大学へ行くつもりで勉強をしていた真矢みきさん。 でも宝塚歌劇への想いが強くなり、中学を卒業時に高校へは行かずに1979年に宝塚音楽学校へ入学します。 メチャクチャ余談ですが、真矢みきさんは学生の頃、お兄さんとUFOを見たことがあるんだとか。 2013年ごろの『原宿ネストカフェ』という番組でUFOを見たエピソードを話されていました。 時期的にはこのころかなと。 真矢みきの宝塚時代の動画!男役の写真とエピソード集 — 2018年11月月20日午前8時56分PST 1979年に宝塚音楽学校へ入学した真矢みきさんは、1981年に宝塚歌劇に入団します。 1995年に花組のトップスターになった真矢みきさんの対談までの映像やエピソードをお話しします。 真矢みきさは何期生?同期には黒木瞳や涼風真世 真矢みきさんは67期として宝塚歌劇に入団します。 実は同期がスゴイ人が多く、黒木瞳さんや涼風真世さんがいました。 そんなメンバーがいる中で、実は最初から真矢みきさんは上位の成績だったわけではありません。 宝塚音楽学校の入学試験では39人中37番。 宝塚歌劇に入団した時は21番目と言われています。 そして先ほども言ったように『真矢みき』という名前はお母さまからの提案でした。 デビューの初舞台から花組のトップスターへ デビューしてから一気にトップスターへ! というスター街道を走ったわけではありませんでした。 初舞台から14年後の1995年に当時のトップスター安寿ミラさんの退団により、トップスターへ。 純名里沙さんや千ほさち(現・森ほさち)を相手役の娘として活躍されます。 入団試験などでは評価が低かった真矢みきさん。 1つずつ目の前のステップを乗り越えてのトップスターという印象を受けました。 一気にトップスターになった天海祐希さんとは、こういったキャリアは少し違うみたい。 なぜなら1990年代なので、ビデオ VHS の時代だから。 ビデオがご自宅で見れるなら、真矢みきさんの宝塚時代の動画を確認できます。 DVDだと宝塚大劇場の100周年記念くらいですね。 楽天で購入 在籍時に武道館に立つなど、かっこいいエピソードも! 真矢みきさんは宝塚時代に周囲から『革命児』と言われていました。 それは次の3つのエピソードが関係しています。 まずはメイクについて。 真矢みきさんは当時、男役のイメージにはなかった長髪や薄いメイクを取り入れたんです。 もともと目や鼻がくっきりされているので、メイクが薄くても男役がハマったのでしょう。 『これまでの常識を覆す』という点で革命児と言われました。 2つ目は写真集を発売したこと。 在籍中に篠山紀信さんが写真を撮って、写真集を出したんです。 その中にはスカートで撮影した写真もあったんですね。 男役ですから女性らしい写真はタブーとされていての撮影。 こういった点でも革命児という印象を強めました。 3つ目は武道館でライブをしたこと。 こちらも退団前に開いたリサイタルで、現役の生徒がコンサートするのは初めてだったんです。 観客は大劇場と違って立ちっぱなしでズルい女も披露されたんです。 引用元 このようにそれまでの常識を覆す挑戦をしてきた真矢みき。 だからこそ『革命児』と言われていたんですね。 宝塚歌劇を退団した理由もお母さま? 1995年にトップスターになった真矢みきさん。 ですがわずか3年後の1998年に退団してしまいます。 実はこの退団のキッカケもお母さまだったという記事が残っていました。 女性自身で書かれていた内容は、お母さんが宝塚ファンだったこと。 だから『一人でも多くの人がトップを味わえるように早くやめなさい』という意見を持っていたんだとか。 そういったお母さまの意見もあってか1998年『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもって宝塚歌劇団を退団します。 宝塚を退団したあとの真矢みきの活躍と苦労が泣ける トップスターになってから比較的早い時期に、惜しまれつつも宝塚歌劇を退団した真矢みきさん。 その後はテレビ番組やドラマ・映画といろんな活動をされています。 ただ雑誌やテレビなどのインタビューを見ると、順風満帆というわけではないことがわかります。 仕事が0になった時期、ビビットでのMC仕事・実母の介護など苦労を重ねています。 懐かしい名言や名場面も合わせて、振り返ってみましょう。 宝塚歌劇を退団後にオファーが0になった? 真矢みきさんは宝塚のトップスター。 退団後はたくさんのミュージカルやお芝居のお話しがありました。 でも真矢みきさんは『退団後2年は舞台に立たない』と決めていたんです。 そして2年間全てのオファーを断っていたら、何も仕事の依頼がこなくなりました。 しかも当時の事務所『田辺エージェンシー』からクビになってしまうんです。 断っていたんだから仕事の依頼がこなくなるのも、ある意味では当然ですよね。 なので退団後は順風満帆というわけではなく、細かい仕事やオーディションに取り組んでいました。 苦労のすえにドラマやCMで名言が出た 仕事なないときに友人のリクルートスーツを着てオーディションに臨んだのが『踊る大捜査線2』 『事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起きてるんだ!』という青島刑事 織田裕二 さんの前作の名言にかみつく役柄。 『事件は会議室で起こってるのよ』と言い放つ、気が強い警視正の役を演じました。 ここから『完璧な女性』『理想の上司』というイメージがついてCMにも抜擢。 『諦めないで』という茶のしずく石鹸のCMはメチャクチャ流行りましたよね。 事務所を移籍して芸名を改名 真矢みきは2015年にオスカープロモーションへ移籍。 さらに同じタイミングで改名をしました。 真矢みきから真矢ミキ。 ご本人のコメントでは深い意味があったわけではなく、『新しい挑戦』という意味だったようです。 ニュース番組『ビビット』の司会へ! さらに2015年からニュース番組ビビットの司会へ抜擢。 飾らない発言をされているのが印象的でした。 例えば日大アメフトのタックルが問題になったとき。 日大指導者の監督の会見に『腹立たしい』とコメント。 『私のここにある目のクマはイラついて眠れなかったから』とおっしゃっていました。 またサムハラ神社というお守りの転売が問題になっているという話題でも怒っていましたね。 宝塚歌劇でも転売が問題になっているので、その当時と重なったのかなと勝手に推測して見ていました。 53歳で高卒認定を取る!学歴より「学びたい精神」があった そして情報番組をこなしながら2017年にチャレンジしたのが高卒認定試験。 もともと母に宝塚を勧められるまでは大学へ行きたいと思っていた真矢みきさん。 『学び直したい』という気持ちはずっと持っていたとコメントされています。 その想いが情報番組をやって復活! いろんな話題やニュースに触れるたびに興味が強くなって『学びたい』という気持ちが強くなる。 さらにいい加減な発言をしたくないから無知と向き合おうと考えて受験を宣言したようです。 塾に行き1日に6時間ほど勉強。 漫画喫茶で勉強された日もあるとインタビューで答えていました。 そして無事に試験に合格。 受験した5科目ですべてで合格をしたんです。 プライベートでも自分に課題をかしてストイックに取り組む真矢みきさんって本当にすごい。 母の介護から別れの想いをブログでつづる 宝塚歌劇を卒業してビビットの司会をされてる間、プライベートではお母さまの介護もしていたんです。 そのときの様子をテレビ朝日『徹子の部屋』で話されていました。 最初は実家に通っていたのですが夫の西島さんから『一緒に住もう』と提案されて同居。 ビビットの出演と母の介助をこなしていたんです。 そしてお母さまは真矢みきさんを自分の妹だと思い込んだり、昔話がゴチャゴチャになるように。 そのときから真矢みきさんは認知症を疑うようになったんです。 名前を忘れられた日のことを、真矢みきさんはブログで以下のように語っています。 今年で米寿を迎える母 母の夫、 私にとっての父が他界してから約14年が経つ あの父が亡くなった夜から、 母は少しづつ悲しみを忘れたいのか、 現実逃避していった気がする 私は敢えて認知症なんて言葉は使いたくない 悲しみを忘れたかった母の気持ちがわかる気がするから だけど 今夜は一人 ただ、どこまでも歩きたかった 泣きたいと言う衝動的な娘としての感情と それで良いんだ といいきかせる、大人になっている自分がいることに気づいた夜だった 母の人生 母の思うままに あたたかい日々であってくれたらいいな 何処かで、そんな思いをしている方がいたら、 そんな事 伝えたいなと思った。 今日も一日、お疲れ様でした。 ビビットで司会をされていた姿を見ているときは、プライベートでこんな大変な思いをされていたことはわかりませんでした。 真矢みきは真正面から向き合うのが魅力!宝塚時代も退団も 今回は真矢みきさんの宝塚に入るまでのエピソード・、宝塚時代の話・退団後の活躍 この3つについてお話ししました。 共通していたのはCMでも有名になった【あきらめないこと】かなと。 宝塚入団時代は成績が低くてもコツコツと努力を続けてトップスターへ。 退団後はオファーが0になってもオーディションを受け有名女優の仲間入り。 情報番組という未知の仕事にも取組み、高卒認定なども取得。 このように真正面から取り組む姿勢がとても美しいという印象があります。 ドラマや映画を見てるだけではわからない姿がありました。

次の

真矢みきの宝塚時代の写真と伝説エピソード集!宝塚の舞台を降りたワケとその後

真矢 みき 宝塚

Sponsored Link 斬新な男役で人気を博す 小さい頃からの歌やバレエの経験がなかったこともあってか、努力しても一向に上達せず、一時は宝塚を辞めたいと思った真矢さんですが、 芸ではかなわなくても、個性を活かして見せ方を工夫すればよい と、考えるようになると、 「宝塚歌劇団」を「観ず嫌い」だったり「独特の化粧が受け付けない」といったお客さんをどうやってファンにさせるかを考え、 リアルな男性の姿を表現しようと、それまでの男役の定番だった 「短髪リーゼント」を 「長髪」に、 「ブルーのアイシャドウと真っ赤な口紅」を 「ナチュラルメイク」に変えられます。 宝塚の伝統的なメイクの真矢さん。 長髪、ナチュラルメイクの真矢さん。 その後も、 1992年1月 「ドニエプルの赤い罌粟」 1993年10月 「アップル・ツリー 〜三つの愛の物語〜」 において、 「宝塚バウホール」で主演を務められたのでした。 安寿ミラとの「ヤンミキコンビ」で人気爆発 そして、1992~1995年には、真矢さんの1期先輩である安寿ミラさんと男役同士のコンビを務められると、 ナンパな男役の真矢さんとクールな一匹狼の安寿さんという正反対のキャラクターと、ちょっとBL(ボーイズラブ)的な二人の掛け合いがウケ、 「ヤンミキコンビ」と呼ばれ、人気爆発。 (安寿さんは「ヤンさん」と呼ばれていました) 真矢さんは、2番手ながら、トップの安寿さんと肩を並べるほどの人気を博したのでした。 真矢さん(前)と安寿ミラさん(後)。 男女のカップルも! (左から)安寿さん、森奈みはるさん、真矢さんのトリオとしても。 花組トップスターとなり「ヅカの革命児」と呼ばれる その後、真矢さんは、1995年には、安寿さんの退団により 「エデンの東」で花組トップスターに就任されるのですが、その後も挑戦は続き、 1997年には、「普段宝塚を見ない人でも手に取りやすいように」という思いから、宝塚専属カメラマンではなく、外部の写真家であるさんが撮り下ろした写真集 「Guy」をリリースし、 しかも、当時はタブーとされていた 「男役の女装姿」(男役でありながら女性の姿をした)の写真も掲載。 さらに、1998年7月には、現役タカラジェンヌとしては初となる、日本武道館でのソロライブ 「MIKI In BUDOUKAN」を開催されると、 つんくさんがプロデュースしたこのライブで、真矢さんは、 「シャランQ」の 「ズルイ女」や 「すみれの花咲く頃」のロックバージョンを披露するなど、「宝塚」の古い慣習を次々と打ち破り、 「ヅカの革命児」と呼ばれるようになったのでした。 Sponsored Link 男性の魅力を研究しオリジナルの男役を開拓 ところで、真矢さんは、どのように自身オリジナルの「男役」を編み出されたのでしょうか。 真矢さんは、 「NEWS ポストセブン」のインタビューで、次のように語っておられます。 宝塚の男役というのは長い歴史のなかの様式美というものがあって、私が入ったころは今より自由度も少なく、男役とはこういうものです、と歌舞伎の形(かた)のような男役像を日々学び習得していた毎日でした。 周囲を見渡してみると女子校出の子も多く、男役という中性的な魅力をすでにしっかり把握し、8割くらいは憧れの上級生、または洋画の男優さんなどをみて切磋琢磨していた。 それはそれで魅力的なんだけど、小、中と男女共学で育った私はいつも、もうちょっとリアルな男性をやりたいなぁと思いを募らせていました。 中性ではなく、男役でもなく、そう! 男性になりたいのだと。 そこで、真矢さんは、山手線に半日くらい乗ってぐるぐると何周かしながら、よれた襟のシャツを着たサラリーマンや、渋谷の交差点を行く流行のファッションに身を包んだ男性たちをずっと眺めるなど、20代は、男性の魅力をただただ研究して過ごしたそうで、 まずは、 シャイで寡黙だけどハートの奥にはチリッと、いやジリジリッと、いや、仕事となるとメラメラッと熱いものを出してくるギャップがいいな…みたいな。 または、愛する女性を目の前に、一瞬、言葉をのんでいる時のうつむき加減の露出しない色気…などなど見つけ出したら止まらない私なりの目線、私なりの男性像を見つけていた。 こうなったら進歩も早い(笑い)。 早速取り入れてみた私は、やはり少しみんなと違う男役に入団5年目くらいになっていた。 と、 「ダイレクトには魅力を押してこない日本男性」像をクローズアップ。 そして、その次には、外国人男性(洋画の俳優ではなく実物の男性)を研究されたそうで、 手振り身振りが大きく、エンターテインメントというものをDNAに思いっきり注入されたイギリス紳士。 遊び心あるアメリカ人のフランクで無防備な色気。 そう、ラスベガスのマジシャンなんかにも憧れた。 みんなが日舞や声楽の個人レッスンを習いに行く中、私一人、大阪の手品教室に通っていたほど。 今でも白い鳩を見る度に、鳩の糞のついた新聞紙を甲斐甲斐しく替えていた師匠の汗が滴る夏を思い出す。 そしてハマった!と言えば、外国人の男性ダンサーが踊りまくるバー。 公演終わりに足繁く通った日々…日々、日々。 勉強です。 ) そこで習得したのが、わかりやすいところでウインク! あと、帽子のつばを美しく這わせる指の走らせ方。 いわゆる所作。 外国人の仕草は本当に魅力的だ。 きっと幼い頃からおじいちゃんは酔えば踊り、ラジオからは普通にジャズが流れ、テレビをつければカウボーイがピストルクルクル回していたであろうことが手に取るようにわかるから凄い。 とにかく、感性が余裕で洒落てる。 片方の眉だけをひょいとあげる感情表現はこの世の愛の言葉を一手に掴んだ最強のアイテムに見えた。 はぁー、思い出すだけでも愉しい。 これは当時の私がいちばん心奪われた仕草でした。 と、すごい研究の成果を語っておられます。 (外国人男性の研究は退団まで続いたそうです) に続く.

次の