帝国 ホテル 料理 長。 京 料 理 伊 勢 長 | 帝国ホテル店

杉本雄帝国ホテル東京料理長の経歴は?年収や料理の評判についても!|Tips報道局

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祖父も父も料理好きで、その影響か私自身も幼少の頃から台所にはよく入っていました。 自分の料理を家族が喜んで食べてくれることが嬉しくて。 そこで、生まれて初めてフランス料理を食べたのですが、美味しさはもちろん、精密さや美的センスに衝撃を受けました。 今でもその感動が鮮明に刻まれていますね。 幼少の頃では、なかなかできない経験ですよね。 杉本「ははは(笑)。 そうですよね。 でも、その経験があったから料理人になる! 働くなら『帝国ホテル』しかない、と心は決まっていました。 それで、高校生の時に『帝国ホテル』の人事部へ連絡をしたんです。 「料理人として就職させてほしい」と」 杉本「当時、私が通っていた高校は進学校で、ほとんどの生徒が大学進学を選択する学校でした。 まして、調理師学校を希望するような生徒なんていません。 私自身は卒業したら「就職」と心に決めていたので、調理師学校があるという考えも一切なかった。 ただ、『帝国ホテル』では高卒採用がない……そこから、調理師学校への進路変更です。 でも、どこの学校が良いのかも分からなくて人事部の方に「では、どこの学校で勉強すれば『帝国ホテル』に入れますか?」と質問をしたんです。 失礼ですよね(笑)。 杉本「そうなんです。 当時は就職氷河期と言われた時代で、『帝国ホテル』でも料理人の新規採用が無い年でした。 そこで、アルバイトでもいいので入ろうと考えたのですが、調理のアルバイト募集も空きもない。 そういった状況でした。 杉本「はい。 『帝国ホテル』には、複数のレストランがあるほか、宴会など様々な部門があるので、350名近くの料理人が在籍しています。 若手は色々な部門で経験を積むものなのですが、いきなり『レ セゾン』でフランス料理を学べることになるとは、運が良かったとしか言いようがありません。 でも、自分なりには『帝国ホテルでフランス料理を学ぶ』という目標を設定した時点で、そのためにはどのように行動しなければいけないのか、何を実行しなければいけないのかを逆算して考え、キャリアプランを立ててきたつもりです。 だからこそ気持ちがブレずに進んでこられたんだと思います。 杉本「きっかけは、フランスからシェフを招聘し、開催されたフェアでした。 来日したシェフの繊細な仕事と集中力、美的センスを目の当たりにして打ちのめされました。 すべてが別格なんです。 それで、本場フランスで修業したいという気持ちが膨らんでいきました。 せっかく『帝国ホテル』のメインダイニングという夢の場所で働けているのですが、組織に属している以上、人事異動などもあります。 そうなると、自分の描いていたキャリアプラン通りに行かないこともありますよね。 自分は「フランス料理を極めたい」と決めていたので、それにはフランスに行かなければと思って退社を決断しました。 そんな杉本シェフに芯の強さを感じます。 退社後、フランスではどうされたんですか? 杉本「三つ星のレストランで働くつもりで行ったのですが、当然コネクションもまったくないですから。 では、三つ星で働くにはどうすればいいのかを逆算して考えて、ひとつひとつ開拓していったという感じです。 最初は、レストランに何十通も履歴書を送りました。 運良く採用されても希望の料理人ではなく、ウェイターだったりすることもありました。 その話が田中総料理長(当時)の耳に入ったのか、再びお会いする機会にも恵まれ、連絡を取らせていただくようになりました。 それから少し経った頃、田中総料理長の後任候補のひとりとして『帝国ホテル』から打診をいただいたんです。 海外のレストランでやっていたこととの違いや戸惑いはありましたか? 杉本「まず、日本と海外のホテルにおける宴会の重要性がまったく違っています。 日本ではホテルの宴会場を利用した大人数でのパーティや婚礼などが、文化として根づいています。 700~800名規模の宴会場を持っているホテルは、海外ではあまりありません。 以前、私が働いていた『ル・ムーリス』のメインダイニングでも200名くらいが最大です。 そういった捉え方からも日本のホテルの顔と言えば大きな宴会場、海外のホテルの顔は星付きのメインダイニング。 厨房の大きさやスタッフの数も多くなり、指示も通りづらかったりすると思うのですが、その点の難しさとかはありますか? 杉本「宴会部門の担当になった最初は、どこで何が起こっているのかさえ分からないような状況でした。 レストランであれば、60名程のお客様を2時間~3時間でサービスするのが通常なのですが、『帝国ホテル』の宴会や婚礼では数百名規模の料理を一斉にお出ししています。 その為には、技術と無駄のないオペレーションが必要です。 そこは、レストランとは違うやり方でもあるので、3年前に宴会部門の担当になった当初は「まだまだ学ぶことが多い」と感じました。 でも、大変でしたが楽しくて仕方が無かったですね。 自分なりに試行錯誤をして、これまでとはやり方を変えたこともあります。 それと同時に、リーダーとして、これまで以上にコミュニケーションが必要だと感じました。 料理人のなかには、かつての先輩もいますので、お互いに言いづらい時もあるかと思いますが、自分の意見も伝えながら、相手の意見も聞きながらコミュニケーションしていきたいと思います。 その中で全体をどのようにマネジメントしていくかを見つけ出します。 それが『帝国ホテル』への恩返しにもなると思うので」.

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帝国ホテル東京料理長に聞く。ホテルとレストランは何が違うのか?

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祖父も父も料理好きで、その影響か私自身も幼少の頃から台所にはよく入っていました。 自分の料理を家族が喜んで食べてくれることが嬉しくて。 そこで、生まれて初めてフランス料理を食べたのですが、美味しさはもちろん、精密さや美的センスに衝撃を受けました。 今でもその感動が鮮明に刻まれていますね。 幼少の頃では、なかなかできない経験ですよね。 杉本「ははは(笑)。 そうですよね。 でも、その経験があったから料理人になる! 働くなら『帝国ホテル』しかない、と心は決まっていました。 それで、高校生の時に『帝国ホテル』の人事部へ連絡をしたんです。 「料理人として就職させてほしい」と」 杉本「当時、私が通っていた高校は進学校で、ほとんどの生徒が大学進学を選択する学校でした。 まして、調理師学校を希望するような生徒なんていません。 私自身は卒業したら「就職」と心に決めていたので、調理師学校があるという考えも一切なかった。 ただ、『帝国ホテル』では高卒採用がない……そこから、調理師学校への進路変更です。 でも、どこの学校が良いのかも分からなくて人事部の方に「では、どこの学校で勉強すれば『帝国ホテル』に入れますか?」と質問をしたんです。 失礼ですよね(笑)。 杉本「そうなんです。 当時は就職氷河期と言われた時代で、『帝国ホテル』でも料理人の新規採用が無い年でした。 そこで、アルバイトでもいいので入ろうと考えたのですが、調理のアルバイト募集も空きもない。 そういった状況でした。 杉本「はい。 『帝国ホテル』には、複数のレストランがあるほか、宴会など様々な部門があるので、350名近くの料理人が在籍しています。 若手は色々な部門で経験を積むものなのですが、いきなり『レ セゾン』でフランス料理を学べることになるとは、運が良かったとしか言いようがありません。 でも、自分なりには『帝国ホテルでフランス料理を学ぶ』という目標を設定した時点で、そのためにはどのように行動しなければいけないのか、何を実行しなければいけないのかを逆算して考え、キャリアプランを立ててきたつもりです。 だからこそ気持ちがブレずに進んでこられたんだと思います。 杉本「きっかけは、フランスからシェフを招聘し、開催されたフェアでした。 来日したシェフの繊細な仕事と集中力、美的センスを目の当たりにして打ちのめされました。 すべてが別格なんです。 それで、本場フランスで修業したいという気持ちが膨らんでいきました。 せっかく『帝国ホテル』のメインダイニングという夢の場所で働けているのですが、組織に属している以上、人事異動などもあります。 そうなると、自分の描いていたキャリアプラン通りに行かないこともありますよね。 自分は「フランス料理を極めたい」と決めていたので、それにはフランスに行かなければと思って退社を決断しました。 そんな杉本シェフに芯の強さを感じます。 退社後、フランスではどうされたんですか? 杉本「三つ星のレストランで働くつもりで行ったのですが、当然コネクションもまったくないですから。 では、三つ星で働くにはどうすればいいのかを逆算して考えて、ひとつひとつ開拓していったという感じです。 最初は、レストランに何十通も履歴書を送りました。 運良く採用されても希望の料理人ではなく、ウェイターだったりすることもありました。 その話が田中総料理長(当時)の耳に入ったのか、再びお会いする機会にも恵まれ、連絡を取らせていただくようになりました。 それから少し経った頃、田中総料理長の後任候補のひとりとして『帝国ホテル』から打診をいただいたんです。 海外のレストランでやっていたこととの違いや戸惑いはありましたか? 杉本「まず、日本と海外のホテルにおける宴会の重要性がまったく違っています。 日本ではホテルの宴会場を利用した大人数でのパーティや婚礼などが、文化として根づいています。 700~800名規模の宴会場を持っているホテルは、海外ではあまりありません。 以前、私が働いていた『ル・ムーリス』のメインダイニングでも200名くらいが最大です。 そういった捉え方からも日本のホテルの顔と言えば大きな宴会場、海外のホテルの顔は星付きのメインダイニング。 厨房の大きさやスタッフの数も多くなり、指示も通りづらかったりすると思うのですが、その点の難しさとかはありますか? 杉本「宴会部門の担当になった最初は、どこで何が起こっているのかさえ分からないような状況でした。 レストランであれば、60名程のお客様を2時間~3時間でサービスするのが通常なのですが、『帝国ホテル』の宴会や婚礼では数百名規模の料理を一斉にお出ししています。 その為には、技術と無駄のないオペレーションが必要です。 そこは、レストランとは違うやり方でもあるので、3年前に宴会部門の担当になった当初は「まだまだ学ぶことが多い」と感じました。 でも、大変でしたが楽しくて仕方が無かったですね。 自分なりに試行錯誤をして、これまでとはやり方を変えたこともあります。 それと同時に、リーダーとして、これまで以上にコミュニケーションが必要だと感じました。 料理人のなかには、かつての先輩もいますので、お互いに言いづらい時もあるかと思いますが、自分の意見も伝えながら、相手の意見も聞きながらコミュニケーションしていきたいと思います。 その中で全体をどのようにマネジメントしていくかを見つけ出します。 それが『帝国ホテル』への恩返しにもなると思うので」.

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帝国ホテル 総料理長 田中健一郎氏

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昭和8年(1933年)に日本初の本格的高級山岳リゾートホテルとして開業、今年に開業85周年を迎える上高地帝国ホテル。 スイスの山小屋をイメージした赤い三角屋根や、穂高連峰を間近に望む眺望など魅力が多く、リゾートホテルとしての高い地位は揺らぐことなく続いています。 「上高地帝国ホテル開業85周年記念フェア」は、上高地の歴代料理長が考案したオリジナルメニューの中から、選りすぐりの料理を提供! ちなみに、上高地の歴代料理長は、現在の肩書きをうかがうと「おお!」と思う方たちが名を連ねています。 そんなシェフたちが上高地在任中に考案したメニューを、上高地にいかずとも週替わりで味わえるチャンスは見逃せません。 オリジナルメニューを日比谷で! フェアの食事が楽しめるのは、帝国ホテル東京 1階のオールデイダイニング「パークサイドダイナー」。 岩魚の身と皮目の美味しさにもうっとり! なるべく現地のものを使うようこだわったという料理は、メインの料理はもちろんのこと、添えられた野菜の美味しさも際立っていて、話もはずむ楽しい食事の時間が味わえます。 数量限定で、松本ブルワリーから取り寄せたクラフトビールや「山ぶんど(山ぶどう)」のジュースなども用意されていて、飲み物でも信州を感じることができます。 ————————- 「上高地帝国ホテル開業85周年記念フェア」 東京都千代田区内幸町1-1-1 帝国ホテル東京1階「パークサイドダイナー」 肉料理/2,900円 魚料理/2,500円(消費税込み、サービス料別) ライス、またはパン付き 提供時間/11:00~23:00(L. カマンベールチーズケーキのほうは、ホテルショップ「ガルガンチュワ」で購入もできます! また、ガルガンチュワでは、他にも「上高地オリジナルコーヒー」や山菜ピラフなどフェアにちなんだ商品を提供中。 今年は東京も大雪に見舞われてアタフタしましたが、上高地はもっともっと雪深く、冬季は営業できません。 営業再開は春の息吹が感じられるようになる4月26日。 予約は2月1日から始まっています。 今回のフェアで信州の山の味覚が気になった方は、かつて神秘的な場所として「神降地」や「神河内」ともうたわれていた、雄大で豊かな自然が魅力の上高地に訪れてみるのもいいですね。 冬季連絡先 東京事務所 03-3592-8001 平日 10:00~17:00 営業期間 現地お問い合わせ 0263-95-2001 代表 でも予約できます。

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