デクラン ライス。 ユナイテッド、有望若手デクラン・ライスに73億準備へ【超ワールドサッカー】

デクラン・ライス 【ウイイレアプリ2020】能力と評価

デクラン ライス

[サッカーキング No. チェルシーのユースから追い出されたデクラン・ライスは、 ウェストハムでも自分の能力に限界を感じていた。 インタビュー・文=クリス・フラナガン 翻訳=加藤富美 写真=レオン・ツェルノフラベク、ゲッティ イメージズ 心が動いたアストン・ヴィラからの誘い 『スライディング・ドア』と聞けば、多くのイギリス人が20年前に上映された1本の映画を思い浮かべるだろう。 物語はグウィネス・パルトロウ演じる主人公のヘレンが遅刻を理由に上司にクビを告げられるところから始まる。 彼女は自宅に帰ろうと地下鉄に向かったが、電車に乗る寸前にドアが閉まってしまう。 待っているのは、全く違う運命だ。 デクラン・ライスは、この映画が封切られた8カ月後に生まれた。 成長した彼は、ヘレンの気持ちを十分に理解することになる。 今から約1年前、ライスのキャリアは大きな分岐点に差し掛かっていた。 ある夏の昼下がり、我々は選手のサインを待つファンの前を通り過ぎて取材場所に向かった。 目当ての彼は、フェリペ・アンデルソンやマヌエル・ランシーニとともにリフティング対決をしていた。 ウェストハムの若手三人衆は軽口をたたきながら利き足ではない左足でボールを蹴り続けている。 ライスは我々の姿を見つけると、「僕の勝ちだよね?」と笑いかけてベンチに向かった。 質問に答える表情は輝いていた。 つい1年前は、プレミアリーグで通用するかどうかの答えを見つけるのに苦労していたというのに。 そう、その不安も、自信も、すべてウェストハムのピッチで生まれたものだ。 出場した31試合のうち、先発は20試合を数える。 当時の監督デイヴィッド・モイーズは、彼をプレミアリーグのラスト8試合でいずれもセンターバックとして起用した。 すべてが順調に進むはずだった。 しかし、新シーズンに入り状況は一変する。 新たに指揮官に就任したペジェグリーニはライスの適性を守備的中盤に見出し、使い続けた。 「当時はプレッシャーに押しつぶされそうだった。 恐怖だったよ……。 本当に怖かった」。 ライスは顔をしかめる。 前半に2点のビハインドを負ったペジェグリーニ監督が下した決断は、ライスをハーフタイムで交代させるというものだった。 「試合のスピードについていけなかった。 モハメド・サラーがいて、サディオ・マネとロベルト・フィルミーノもいて、観客は誰もが大声でチャントを歌っている。 時速100マイルでゲームが進んでいく感じだった」 アンフィールドの試合は大きなトラウマになった。 試合終了から数時間のうちに、ライスは自分がプレミアリーグでプレーする水準に至っていないと判断する。 彼は完全に自信を失っていた。 「帰宅途中にライアン・フレデリックスと電話で話したよ。 レンタル移籍を志願しようと思う、と打ち明けたんだ」 ライスは、そうつぶやいた。 「リヴァプール戦のハーフタイムで代えられてから、何試合も使ってもらえなかった。 そういう状況だと、いろいろと考えてしまう。 ウェスト・ブロムウィッチ、ノッティンガム・フォレスト、アストン・ヴィラからオファーが来た。 ヴィラ行きに心が動いたよ。 僕はペジェグリーニ監督の部屋を訪ねて、『レンタルに出るべきだと思います』と言ったんだ。 そうしたら笑い飛ばされたよ。 『冗談じゃない! お前はここで試合に出るんだ』と言われた」 ライスは腹をくくった。 「ここに残るなら、石にかじりついてでも頑張らなきゃいけない」と。 それから彼は、シーズン終了まで先発出場を続けた。 「アンフィールドでの試合には意味があったと思っている。 あのときを境に、自分が成長していると感じるんだ」 「ウェストハムへの移籍は、僕に訪れた最高の幸運」 ライスが『スライディング・ドア』の前に立たされたのは、これが初めてではない。 14歳のときのことだ。 ロンドンの南西にあるキングストン・アポン・テムズで生まれ育ったライスは、当然のことながらチェルシーのファンだった。 アカデミーに入り、ボールボーイを務めたこともある。 「ジョン・テリーとジョー・コールに夢中だったよ。 テリーはDFが必要とするすべての資質を備えていたし、リーダーシップの面でも優れていた。 彼のすべてを愛していたよ。 家族全員がチェルシーファンで、シーズンチケットを持っていた」 しかし、彼がチェルシーの一員としてプレミアリーグに出場する夢はかなっていない。 「ユースの関係者から父に電話があった。 てっきり契約更新の話だと思っていたから、ダメだったと聞いて取り乱したよ。 これからどうやって生きていけばいいんだ?ってね」 幸い、引く手は数多だった。 「次の日にはフルアムから連絡をもらって練習に参加した。 その翌日には父が車でウェストハムの練習場に連れていってくれた。 セッションが1回終わったあとで、スカウトのデイブ・ハントがオファーをくれた」 未来への道は再び開けた。 そしてチェルシーを去る直前に、思わぬ体験に遭遇する。 「テリーがチェルシーのアカデミーに顔を出してくれたんだ。 「ある日、キングストンの街中で彼に出くわした。 僕はアーケードを抜けて映画を見にいく途中だった。 少し立ち話をしたよ。 そうしたら別れ際に『インスタグラムにメッセージをくれる?』と言ってくれたんだ。 そのあと実際にメッセージのやり取りをした。 僕がチェルシーを去ることを知ったら電話をくれた。 30分くらい話したかな。 『まだまだこれからだ。 ウェストハムで全力を尽くせ』と言ってくれたよ」 電話のことは一生忘れない、と興奮した様子で言う。 「僕のためにわざわざ時間を割いてくれたんだよ! 本当に感謝している。 彼の言葉すべてを胸に刻んだよ」 チェルシーにとどまっていたら、今頃はどこでプレーしていただろう? 彼の話を聞きながら、考えてしまう。 そこでは才能あふれる多くの若者が、いつ終わるとも知れないレンタルへの旅に出されるからだ。 「ウェストハムへの移籍は、僕に訪れた最高の幸運と言っていいだろう。 当時はつらかったけど、見返りは大きかったよ。 あのままチェルシーにいたら、今のような結果は残せていなかったかもしれない」 おそらくそのとおりだろう。 プレミアリーグで主力としてプレーする道はかなり限られているのが現状だ。 「チェルシーに見放されたとき、クラブの判断は間違っていると思った。 僕は自分の力を信じていたからね。 今頃、判断を下した人間は悔やんでいるかもしれない。 でも、今となってはどうでもいい話だ。 僕は一生懸命努力しているし、今は成長するためにウェストハムにいる。 家族もここ3年はチェルシーの試合を見にいっていないみたいだよ。 今はすっかりウェストハム派だ!」 実は16歳のときにも『スライディング・ドア』を経験している。 コーチの数名が彼のフィジカルに懸念を示し、クラブにとどまらせるべきか否かを議論した。 最終的に彼はプレーで指導者たちを納得させ、奨学金まで受け取っている。 ライスの才能に気づいた者の一人にアーセン・ヴェンゲルがいる。 「当時はセンターバックだった。 子供の頃はストライカーだったけど、足が遅くなるにつれて後ろに下がったんだ(笑)。 アーセナル戦のあと、コーチのスティーヴ・ポットとマーク・フィリップスが僕のところに来てこう言った。 ヴェンゲルが『今日見た中で最高の選手はライスだ』と褒めていたぞ、って。 信じられる? 最高の褒め言葉だったよ」 ライスが初めてトップチームの相手と対戦したのは、リーグカップの試合だった。 「コヴェントリーには大柄で当たりの強いストライカーが2人いたんだ。 でも、コヴェントリー戦は肘の突き合いだった。 たくさんのことを学んだね」 彼の学習能力の高さは折り紙つきだ。 ピッチ上で見せるインテリジェンスを称え、「学校でも成績が良かったのでは?」と尋ねると、ライスは大声で笑った。 「インテリジェンス? からかわないでくれよ! ピッチではそうかもしれないけど、勉強は全くダメだった」 いや、そんなはずはない。 インタビュー中も若いフットボール選手にありがちな、黙り込む瞬間がない。 知性と自信にあふれる青年。 それが彼の偽りない姿だ。 ライスは周囲からの称賛を、感謝をもって受け止めている。 「試合後のインタビューで、ペジェグリーニ監督が僕のことをプレミアで一番の守備的MFだと言ってくれた。 とてもうれしかったよ。 ジョゼップ・グアルディオラも若手では僕が一番だと言ってくれたみたいだ。 自信になるよ」 自信と高慢は同義ではない。 「僕は昔と同じ人間だよ。 何も変わっちゃいない。 変わってしまう人間もいるけど、変な欲を出し始めたら終わりだと思うんだ。 常に謙虚でいなくちゃね」 その謙虚さは、人の話を聞く姿勢にも表れている。 特に、キャプテンを務めるマーク・ノーブルには敬意を払っているようだ。 ライスは自身へのアドバイスをすべて受け止め、成長を続けている。 「ノーブルにはどれだけ感謝しても足りないよ。 ラウンジで一緒に涼んだり、食事に行くこともある。 試合では父にも声をかけてくれる。 プレーについてもアドバイスをたくさんくれるんだ。 ウェストハムに15年間もいる選手に声をかけてもらえるのは本当にうれしい。 いつも支えてもらっている」 キャプテンはまるで父親のような存在だ、とライスは言う。 「12歳しか離れていない君にそう言われて、キャプテンはちょっと悲しいかもしれないね」と返すと、くすりと笑った。 「チームの中での話だよ! ノーブルは面倒を見るのが好きなんだ」 ウェストハムの最優秀若手選手をビッグクラブが放っておくはずがない。 移籍の噂は後を絶たないが、本人は冷静だ。 「誤解しないでほしい。 ビッグクラブでプレーする力がないと言っているわけじゃない。 タイミングがあると思うんだ。 今はそのタイミングじゃない。 まだ学ぶことがたくさんあるし、僕はウェストハムでの毎日を心から愛している。 サポーターとも最高の関係を築いているし、監督も僕を気に入ってくれている。 フットボールをするうえで最高の環境だよ」 アイルランド代表か、イングランド代表か 昨シーズンは代表選出をめぐるドラマがあった。 しかしここで重要なのは、そこで戦った3試合がいずれも親善試合だったことだ。 つまり、「イングランド代表候補に」との声が上がったとき、国籍変更がまだ可能な状態だった。 「去年の6月にガレス・サウスゲート監督と話をした。 ぜひ代表に迎えたいと言ってくれたよ。 プレッシャーをかけるような話し方ではなかった。 本当に尊敬すべき人だと思ったね。 『君はどうしたい?』と、僕の答えを待ってくれたんだ」 時間をかけて結論を出したいと考えたライスは、昨年9月に行われたUEFAネーションズリーグのウェールズ戦でプレーしなかった。 この公式戦に出場すれば、イングランド代表への道が完全に閉ざされるからだ。 「SNSは見なかったよ。 避けていたというわけでもない。 ただ興味がなかった」と当時を振り返る。 「SNSに翻弄される選手もいるけど、ウェストハムでのプレーに集中するほうが楽だったし、実際にそうした。 母親は心配していたみたいだけど、どうってことなかったね」 もし彼が、冒頭の場面でアストン・ヴィラ行きの電車に飛び乗り、チャンピオンシップで戦うことになっていたら……イングランド代表への道は閉ざされていたかもしれない。 ライスは半年間考え抜いた。 そして今年2月、スリーライオンズの一員となることを選択した。 「難しい決断だったよ。 アイルランド代表ではとても充実していたからね。 今でも代表で一緒だった仲間とはよく話す。 オニール監督は素晴らしい指揮官だった。 僕の家に来てくれたこともある。 あんなにいい人はめったにいないよ。 彼のような人を傷つけたくはなかった。 でも、自分のキャリアのために一番いい選択をしたと思っている」 イングランド代表のユニフォームをまとって3月のユーロ予選に出場すると、6月にはUEFAネーションズリーグ準決勝のオランダ戦でも先発を務めた。 代表チームの仲間とは瞬く間に融合を果たしたようだ。 「まずは友人であるベン・チルウェルの部屋のドアをたたいた。 そのあとマーカス・ラッシュフォードやルーク・ショーに出くわして挨拶をした。 次がハリー・マグワイアだ。 すぐにミーティングが始まって、みんな優しく歓迎してくれた。 イングランド代表としてピッチに立つなんて信じられなかった。 ピッチに向かって歩くとき、観客が歌う国歌を聞いて身震いした。 腹の中で火が燃え上がるような感覚だったよ。 これから何度でも同じ体験をしたい」 代表への熱い思いは止まらない。 「ユーロの本戦は来年に迫っている。 何とかレギュラーポジションを取りたい。 そのためにはウェストハムで結果を出し続けて、サウスゲート監督にアピールする必要がある」 現在、アイルランド代表の監督を務めるミック・マッカーシーは、ライスがアイルランド代表のキャプテンになる器だと言って引き留めようとした。 彼の成長の早さとピッチでの冷静な立ち居振る舞いを考えると、イングランドのキャプテンマークを巻く姿も十分に想像できる。 ライスは「いつかはなってみたいね」と言って、笑顔を見せる。 「イングランドのキャプテンになりたくない選手なんていないよね?」 14歳でチェルシーを追い出された彼。 16歳でウェストハムを追い出されそうになった彼。 時に、人生は運によって翻弄される。 しかし人生は自分でつくり出すものだ。 そのことを忘れてはいけない。 ライスは苦しい時期にも決して諦めなかった。 周囲の話を聞き、学び、それを消化して気持ちも体もたくましい男になった。 若者よ、彼を見習ってほしい。 君の道もきっと開ける。 007(2019年11月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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【ウイイレアプリ2020】デクラン ライスの能力比較と確定スカウト(通常金玉)

デクラン ライス

[サッカーキング No. チェルシーのユースから追い出されたデクラン・ライスは、 ウェストハムでも自分の能力に限界を感じていた。 物語はグウィネス・パルトロウ演じる主人公のヘレンが遅刻を理由に上司にクビを告げられるところから始まる。 彼女は自宅に帰ろうと地下鉄に向かったが、電車に乗る寸前にドアが閉まってしまう。 待っているのは、全く違う運命だ。 デクラン・ライスは、この映画が封切られた8カ月後に生まれた。 成長した彼は、ヘレンの気持ちを十分に理解することになる。 今から約1年前、ライスのキャリアは大きな分岐点に差し掛かっていた。 ある夏の昼下がり、我々は選手のサインを待つファンの前を通り過ぎて取材場所に向かった。 目当ての彼は、フェリペ・アンデルソンやマヌエル・ランシーニとともにリフティング対決をしていた。 ウェストハムの若手三人衆は軽口をたたきながら利き足ではない左足でボールを蹴り続けている。 ライスは我々の姿を見つけると、「僕の勝ちだよね?」と笑いかけてベンチに向かった。 質問に答える表情は輝いていた。 つい1年前は、プレミアリーグで通用するかどうかの答えを見つけるのに苦労していたというのに。 そう、その不安も、自信も、すべてウェストハムのピッチで生まれたものだ。 ライスは17-18シーズンに初めてトップチームでフルシーズンを戦った。 出場した31試合のうち、先発は20試合を数える。 当時の監督デイヴィッド・モイーズは、彼をプレミアリーグのラスト8試合でいずれもセンターバックとして起用した。 すべてが順調に進むはずだった。 しかし、新シーズンに入り状況は一変する。 新たに指揮官に就任したペジェグリーニはライスの適性を守備的中盤に見出し、使い続けた。 「当時はプレッシャーに押しつぶされそうだった。 恐怖だったよ……。 本当に怖かった」。 ライスは顔をしかめる。 リヴァプールとの開幕戦は、のちにバルセロナも経験することになる0-4という屈辱的なスコアで敗れた。 前半に2点のビハインドを負ったペジェグリーニ監督が下した決断は、ライスをハーフタイムで交代させるというものだった。 「試合のスピードについていけなかった。 モハメド・サラーがいて、サディオ・マネとロベルト・フィルミーノもいて、観客は誰もが大声でチャントを歌っている。 時速100マイルでゲームが進んでいく感じだった」 アンフィールドの試合は大きなトラウマになった。 試合終了から数時間のうちに、ライスは自分がプレミアリーグでプレーする水準に至っていないと判断する。 彼は完全に自信を失っていた。 「帰宅途中にライアン・フレデリックスと電話で話したよ。 レンタル移籍を志願しようと思う、と打ち明けたんだ」 ライスは、そうつぶやいた。 「リヴァプール戦のハーフタイムで代えられてから、何試合も使ってもらえなかった。 そういう状況だと、いろいろと考えてしまう。 ウェスト・ブロムウィッチ、ノッティンガム・フォレスト、アストン・ヴィラからオファーが来た。 ヴィラ行きに心が動いたよ。 僕はペジェグリーニ監督の部屋を訪ねて、『レンタルに出るべきだと思います』と言ったんだ。 そうしたら笑い飛ばされたよ。 『冗談じゃない! お前はここで試合に出るんだ』と言われた」 ライスは腹をくくった。 「ここに残るなら、石にかじりついてでも頑張らなきゃいけない」と。 アンフィールドでの悪夢から5週間後、ライスはエヴァートン戦でフル出場を果たし、ウェストハムは3-1で勝利した。 それから彼は、シーズン終了まで先発出場を続けた。 「アンフィールドでの試合には意味があったと思っている。 14歳のときのことだ。 ロンドンの南西にあるキングストン・アポン・テムズで生まれ育ったライスは、当然のことながらチェルシーのファンだった。 アカデミーに入り、ボールボーイを務めたこともある。 「ジョン・テリーとジョー・コールに夢中だったよ。 テリーはDFが必要とするすべての資質を備えていたし、リーダーシップの面でも優れていた。 彼のすべてを愛していたよ。 家族全員がチェルシーファンで、シーズンチケットを持っていた」 しかし、彼がチェルシーの一員としてプレミアリーグに出場する夢はかなっていない。 「ユースの関係者から父に電話があった。 てっきり契約更新の話だと思っていたから、ダメだったと聞いて取り乱したよ。 これからどうやって生きていけばいいんだ?ってね」 幸い、引く手は数多だった。 「次の日にはフルアムから連絡をもらって練習に参加した。 その翌日には父が車でウェストハムの練習場に連れていってくれた。 セッションが1回終わったあとで、スカウトのデイブ・ハントがオファーをくれた」 未来への道は再び開けた。 そしてチェルシーを去る直前に、思わぬ体験に遭遇する。 「テリーがチェルシーのアカデミーに顔を出してくれたんだ。 「ある日、キングストンの街中で彼に出くわした。 僕はアーケードを抜けて映画を見にいく途中だった。 少し立ち話をしたよ。 そうしたら別れ際に『インスタグラムにメッセージをくれる?』と言ってくれたんだ。 そのあと実際にメッセージのやり取りをした。 僕がチェルシーを去ることを知ったら電話をくれた。 30分くらい話したかな。 『まだまだこれからだ。 ウェストハムで全力を尽くせ』と言ってくれたよ」 電話のことは一生忘れない、と興奮した様子で言う。 「僕のためにわざわざ時間を割いてくれたんだよ! 本当に感謝している。 彼の言葉すべてを胸に刻んだよ」 チェルシーにとどまっていたら、今頃はどこでプレーしていただろう? 彼の話を聞きながら、考えてしまう。 そこでは才能あふれる多くの若者が、いつ終わるとも知れないレンタルへの旅に出されるからだ。 「ウェストハムへの移籍は、僕に訪れた最高の幸運と言っていいだろう。 当時はつらかったけど、見返りは大きかったよ。 あのままチェルシーにいたら、今のような結果は残せていなかったかもしれない」 おそらくそのとおりだろう。 プレミアリーグで主力としてプレーする道はかなり限られているのが現状だ。 「チェルシーに見放されたとき、クラブの判断は間違っていると思った。 僕は自分の力を信じていたからね。 今頃、判断を下した人間は悔やんでいるかもしれない。 でも、今となってはどうでもいい話だ。 僕は一生懸命努力しているし、今は成長するためにウェストハムにいる。 家族もここ3年はチェルシーの試合を見にいっていないみたいだよ。 今はすっかりウェストハム派だ!」 実は16歳のときにも『スライディング・ドア』を経験している。 コーチの数名が彼のフィジカルに懸念を示し、クラブにとどまらせるべきか否かを議論した。 最終的に彼はプレーで指導者たちを納得させ、奨学金まで受け取っている。 U-18に昇格してからも順調に成長を続けた。 ライスの才能に気づいた者の一人にアーセン・ヴェンゲルがいる。 「当時はセンターバックだった。 子供の頃はストライカーだったけど、足が遅くなるにつれて後ろに下がったんだ(笑)。 アーセナル戦のあと、コーチのスティーヴ・ポットとマーク・フィリップスが僕のところに来てこう言った。 ヴェンゲルが『今日見た中で最高の選手はライスだ』と褒めていたぞ、って。 信じられる? 最高の褒め言葉だったよ」 ライスが初めてトップチームの相手と対戦したのは、リーグカップの試合だった。 「コヴェントリーには大柄で当たりの強いストライカーが2人いたんだ。 2-4で負けてしまったよ。 でも、コヴェントリー戦は肘の突き合いだった。 たくさんのことを学んだね」 彼の学習能力の高さは折り紙つきだ。 ピッチ上で見せるインテリジェンスを称え、「学校でも成績が良かったのでは?」と尋ねると、ライスは大声で笑った。 「インテリジェンス? からかわないでくれよ! ピッチではそうかもしれないけど、勉強は全くダメだった」 いや、そんなはずはない。 インタビュー中も若いフットボール選手にありがちな、黙り込む瞬間がない。 知性と自信にあふれる青年。 それが彼の偽りない姿だ。 ライスは周囲からの称賛を、感謝をもって受け止めている。 「試合後のインタビューで、ペジェグリーニ監督が僕のことをプレミアで一番の守備的MFだと言ってくれた。 とてもうれしかったよ。 ジョゼップ・グアルディオラも若手では僕が一番だと言ってくれたみたいだ。 自信になるよ」 自信と高慢は同義ではない。 「僕は昔と同じ人間だよ。 何も変わっちゃいない。 変わってしまう人間もいるけど、変な欲を出し始めたら終わりだと思うんだ。 常に謙虚でいなくちゃね」 その謙虚さは、人の話を聞く姿勢にも表れている。 特に、キャプテンを務めるマーク・ノーブルには敬意を払っているようだ。 ライスは自身へのアドバイスをすべて受け止め、成長を続けている。 「ノーブルにはどれだけ感謝しても足りないよ。 ラウンジで一緒に涼んだり、食事に行くこともある。 試合では父にも声をかけてくれる。 プレーについてもアドバイスをたくさんくれるんだ。 ウェストハムに15年間もいる選手に声をかけてもらえるのは本当にうれしい。 いつも支えてもらっている」 キャプテンはまるで父親のような存在だ、とライスは言う。 「12歳しか離れていない君にそう言われて、キャプテンはちょっと悲しいかもしれないね」と返すと、くすりと笑った。 「チームの中での話だよ! ノーブルは面倒を見るのが好きなんだ」 ウェストハムの最優秀若手選手をビッグクラブが放っておくはずがない。 移籍の噂は後を絶たないが、本人は冷静だ。 「誤解しないでほしい。 ビッグクラブでプレーする力がないと言っているわけじゃない。 タイミングがあると思うんだ。 今はそのタイミングじゃない。 まだ学ぶことがたくさんあるし、僕はウェストハムでの毎日を心から愛している。 サポーターとも最高の関係を築いているし、監督も僕を気に入ってくれている。 アイルランド人の祖父母を持つライスは、U-16から各世代のアイルランド代表を務め、2018年にはマーティン・オニール監督のもとでフル代表デビューを果たした。 しかしここで重要なのは、そこで戦った3試合がいずれも親善試合だったことだ。 つまり、「イングランド代表候補に」との声が上がったとき、国籍変更がまだ可能な状態だった。 「去年の6月にガレス・サウスゲート監督と話をした。 ぜひ代表に迎えたいと言ってくれたよ。 プレッシャーをかけるような話し方ではなかった。 本当に尊敬すべき人だと思ったね。 『君はどうしたい?』と、僕の答えを待ってくれたんだ」 時間をかけて結論を出したいと考えたライスは、昨年9月に行われたUEFAネーションズリーグのウェールズ戦でプレーしなかった。 この公式戦に出場すれば、イングランド代表への道が完全に閉ざされるからだ。 この試合でアイルランドは1-4と惨敗し、ファンからはライスを手厳しく批判する声が上がった。 「SNSは見なかったよ。 避けていたというわけでもない。 ただ興味がなかった」と当時を振り返る。 「SNSに翻弄される選手もいるけど、ウェストハムでのプレーに集中するほうが楽だったし、実際にそうした。 母親は心配していたみたいだけど、どうってことなかったね」 もし彼が、冒頭の場面でアストン・ヴィラ行きの電車に飛び乗り、チャンピオンシップで戦うことになっていたら……イングランド代表への道は閉ざされていたかもしれない。 ライスは半年間考え抜いた。 そして今年2月、スリーライオンズの一員となることを選択した。 「難しい決断だったよ。 アイルランド代表ではとても充実していたからね。 今でも代表で一緒だった仲間とはよく話す。 オニール監督は素晴らしい指揮官だった。 僕の家に来てくれたこともある。 あんなにいい人はめったにいないよ。 彼のような人を傷つけたくはなかった。 でも、自分のキャリアのために一番いい選択をしたと思っている」 イングランド代表のユニフォームをまとって3月のユーロ予選に出場すると、6月にはUEFAネーションズリーグ準決勝のオランダ戦でも先発を務めた。 代表チームの仲間とは瞬く間に融合を果たしたようだ。 「まずは友人であるベン・チルウェルの部屋のドアをたたいた。 そのあとマーカス・ラッシュフォードやルーク・ショーに出くわして挨拶をした。 次がハリー・マグワイアだ。 すぐにミーティングが始まって、みんな優しく歓迎してくれた。 イングランド代表としてピッチに立つなんて信じられなかった。 ピッチに向かって歩くとき、観客が歌う国歌を聞いて身震いした。 腹の中で火が燃え上がるような感覚だったよ。 これから何度でも同じ体験をしたい」 代表への熱い思いは止まらない。 「ユーロの本戦は来年に迫っている。 何とかレギュラーポジションを取りたい。 そのためにはウェストハムで結果を出し続けて、サウスゲート監督にアピールする必要がある」 現在、アイルランド代表の監督を務めるミック・マッカーシーは、ライスがアイルランド代表のキャプテンになる器だと言って引き留めようとした。 彼の成長の早さとピッチでの冷静な立ち居振る舞いを考えると、イングランドのキャプテンマークを巻く姿も十分に想像できる。 ライスは「いつかはなってみたいね」と言って、笑顔を見せる。 「イングランドのキャプテンになりたくない選手なんていないよね?」 14歳でチェルシーを追い出された彼。 16歳でウェストハムを追い出されそうになった彼。 時に、人生は運によって翻弄される。 しかし人生は自分でつくり出すものだ。 そのことを忘れてはいけない。 ライスは苦しい時期にも決して諦めなかった。 周囲の話を聞き、学び、それを消化して気持ちも体もたくましい男になった。 若者よ、彼を見習ってほしい。 君の道もきっと開ける。 007(2019年11月号)に掲載された記事を再編集したものです。 本記事は「」から提供を受けております。 著作権は提供各社に帰属します。 予めご了承ください。

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デクラン・ライスってどんな選手?生い立ちやプレースタイルを徹底解説【ウェストハム・ユナイテッド】|yasublog

デクラン ライス

[サッカーキング No. チェルシーのユースから追い出されたデクラン・ライスは、 ウェストハムでも自分の能力に限界を感じていた。 インタビュー・文=クリス・フラナガン 翻訳=加藤富美 写真=レオン・ツェルノフラベク、ゲッティ イメージズ 心が動いたアストン・ヴィラからの誘い 『スライディング・ドア』と聞けば、多くのイギリス人が20年前に上映された1本の映画を思い浮かべるだろう。 物語はグウィネス・パルトロウ演じる主人公のヘレンが遅刻を理由に上司にクビを告げられるところから始まる。 彼女は自宅に帰ろうと地下鉄に向かったが、電車に乗る寸前にドアが閉まってしまう。 待っているのは、全く違う運命だ。 デクラン・ライスは、この映画が封切られた8カ月後に生まれた。 成長した彼は、ヘレンの気持ちを十分に理解することになる。 今から約1年前、ライスのキャリアは大きな分岐点に差し掛かっていた。 ある夏の昼下がり、我々は選手のサインを待つファンの前を通り過ぎて取材場所に向かった。 目当ての彼は、フェリペ・アンデルソンやマヌエル・ランシーニとともにリフティング対決をしていた。 ウェストハムの若手三人衆は軽口をたたきながら利き足ではない左足でボールを蹴り続けている。 ライスは我々の姿を見つけると、「僕の勝ちだよね?」と笑いかけてベンチに向かった。 質問に答える表情は輝いていた。 つい1年前は、プレミアリーグで通用するかどうかの答えを見つけるのに苦労していたというのに。 そう、その不安も、自信も、すべてウェストハムのピッチで生まれたものだ。 出場した31試合のうち、先発は20試合を数える。 当時の監督デイヴィッド・モイーズは、彼をプレミアリーグのラスト8試合でいずれもセンターバックとして起用した。 すべてが順調に進むはずだった。 しかし、新シーズンに入り状況は一変する。 新たに指揮官に就任したペジェグリーニはライスの適性を守備的中盤に見出し、使い続けた。 「当時はプレッシャーに押しつぶされそうだった。 恐怖だったよ……。 本当に怖かった」。 ライスは顔をしかめる。 前半に2点のビハインドを負ったペジェグリーニ監督が下した決断は、ライスをハーフタイムで交代させるというものだった。 「試合のスピードについていけなかった。 モハメド・サラーがいて、サディオ・マネとロベルト・フィルミーノもいて、観客は誰もが大声でチャントを歌っている。 時速100マイルでゲームが進んでいく感じだった」 アンフィールドの試合は大きなトラウマになった。 試合終了から数時間のうちに、ライスは自分がプレミアリーグでプレーする水準に至っていないと判断する。 彼は完全に自信を失っていた。 「帰宅途中にライアン・フレデリックスと電話で話したよ。 レンタル移籍を志願しようと思う、と打ち明けたんだ」 ライスは、そうつぶやいた。 「リヴァプール戦のハーフタイムで代えられてから、何試合も使ってもらえなかった。 そういう状況だと、いろいろと考えてしまう。 ウェスト・ブロムウィッチ、ノッティンガム・フォレスト、アストン・ヴィラからオファーが来た。 ヴィラ行きに心が動いたよ。 僕はペジェグリーニ監督の部屋を訪ねて、『レンタルに出るべきだと思います』と言ったんだ。 そうしたら笑い飛ばされたよ。 『冗談じゃない! お前はここで試合に出るんだ』と言われた」 ライスは腹をくくった。 「ここに残るなら、石にかじりついてでも頑張らなきゃいけない」と。 それから彼は、シーズン終了まで先発出場を続けた。 「アンフィールドでの試合には意味があったと思っている。 あのときを境に、自分が成長していると感じるんだ」 「ウェストハムへの移籍は、僕に訪れた最高の幸運」 ライスが『スライディング・ドア』の前に立たされたのは、これが初めてではない。 14歳のときのことだ。 ロンドンの南西にあるキングストン・アポン・テムズで生まれ育ったライスは、当然のことながらチェルシーのファンだった。 アカデミーに入り、ボールボーイを務めたこともある。 「ジョン・テリーとジョー・コールに夢中だったよ。 テリーはDFが必要とするすべての資質を備えていたし、リーダーシップの面でも優れていた。 彼のすべてを愛していたよ。 家族全員がチェルシーファンで、シーズンチケットを持っていた」 しかし、彼がチェルシーの一員としてプレミアリーグに出場する夢はかなっていない。 「ユースの関係者から父に電話があった。 てっきり契約更新の話だと思っていたから、ダメだったと聞いて取り乱したよ。 これからどうやって生きていけばいいんだ?ってね」 幸い、引く手は数多だった。 「次の日にはフルアムから連絡をもらって練習に参加した。 その翌日には父が車でウェストハムの練習場に連れていってくれた。 セッションが1回終わったあとで、スカウトのデイブ・ハントがオファーをくれた」 未来への道は再び開けた。 そしてチェルシーを去る直前に、思わぬ体験に遭遇する。 「テリーがチェルシーのアカデミーに顔を出してくれたんだ。 「ある日、キングストンの街中で彼に出くわした。 僕はアーケードを抜けて映画を見にいく途中だった。 少し立ち話をしたよ。 そうしたら別れ際に『インスタグラムにメッセージをくれる?』と言ってくれたんだ。 そのあと実際にメッセージのやり取りをした。 僕がチェルシーを去ることを知ったら電話をくれた。 30分くらい話したかな。 『まだまだこれからだ。 ウェストハムで全力を尽くせ』と言ってくれたよ」 電話のことは一生忘れない、と興奮した様子で言う。 「僕のためにわざわざ時間を割いてくれたんだよ! 本当に感謝している。 彼の言葉すべてを胸に刻んだよ」 チェルシーにとどまっていたら、今頃はどこでプレーしていただろう? 彼の話を聞きながら、考えてしまう。 そこでは才能あふれる多くの若者が、いつ終わるとも知れないレンタルへの旅に出されるからだ。 「ウェストハムへの移籍は、僕に訪れた最高の幸運と言っていいだろう。 当時はつらかったけど、見返りは大きかったよ。 あのままチェルシーにいたら、今のような結果は残せていなかったかもしれない」 おそらくそのとおりだろう。 プレミアリーグで主力としてプレーする道はかなり限られているのが現状だ。 「チェルシーに見放されたとき、クラブの判断は間違っていると思った。 僕は自分の力を信じていたからね。 今頃、判断を下した人間は悔やんでいるかもしれない。 でも、今となってはどうでもいい話だ。 僕は一生懸命努力しているし、今は成長するためにウェストハムにいる。 家族もここ3年はチェルシーの試合を見にいっていないみたいだよ。 今はすっかりウェストハム派だ!」 実は16歳のときにも『スライディング・ドア』を経験している。 コーチの数名が彼のフィジカルに懸念を示し、クラブにとどまらせるべきか否かを議論した。 最終的に彼はプレーで指導者たちを納得させ、奨学金まで受け取っている。 ライスの才能に気づいた者の一人にアーセン・ヴェンゲルがいる。 「当時はセンターバックだった。 子供の頃はストライカーだったけど、足が遅くなるにつれて後ろに下がったんだ(笑)。 アーセナル戦のあと、コーチのスティーヴ・ポットとマーク・フィリップスが僕のところに来てこう言った。 ヴェンゲルが『今日見た中で最高の選手はライスだ』と褒めていたぞ、って。 信じられる? 最高の褒め言葉だったよ」 ライスが初めてトップチームの相手と対戦したのは、リーグカップの試合だった。 「コヴェントリーには大柄で当たりの強いストライカーが2人いたんだ。 でも、コヴェントリー戦は肘の突き合いだった。 たくさんのことを学んだね」 彼の学習能力の高さは折り紙つきだ。 ピッチ上で見せるインテリジェンスを称え、「学校でも成績が良かったのでは?」と尋ねると、ライスは大声で笑った。 「インテリジェンス? からかわないでくれよ! ピッチではそうかもしれないけど、勉強は全くダメだった」 いや、そんなはずはない。 インタビュー中も若いフットボール選手にありがちな、黙り込む瞬間がない。 知性と自信にあふれる青年。 それが彼の偽りない姿だ。 ライスは周囲からの称賛を、感謝をもって受け止めている。 「試合後のインタビューで、ペジェグリーニ監督が僕のことをプレミアで一番の守備的MFだと言ってくれた。 とてもうれしかったよ。 ジョゼップ・グアルディオラも若手では僕が一番だと言ってくれたみたいだ。 自信になるよ」 自信と高慢は同義ではない。 「僕は昔と同じ人間だよ。 何も変わっちゃいない。 変わってしまう人間もいるけど、変な欲を出し始めたら終わりだと思うんだ。 常に謙虚でいなくちゃね」 その謙虚さは、人の話を聞く姿勢にも表れている。 特に、キャプテンを務めるマーク・ノーブルには敬意を払っているようだ。 ライスは自身へのアドバイスをすべて受け止め、成長を続けている。 「ノーブルにはどれだけ感謝しても足りないよ。 ラウンジで一緒に涼んだり、食事に行くこともある。 試合では父にも声をかけてくれる。 プレーについてもアドバイスをたくさんくれるんだ。 ウェストハムに15年間もいる選手に声をかけてもらえるのは本当にうれしい。 いつも支えてもらっている」 キャプテンはまるで父親のような存在だ、とライスは言う。 「12歳しか離れていない君にそう言われて、キャプテンはちょっと悲しいかもしれないね」と返すと、くすりと笑った。 「チームの中での話だよ! ノーブルは面倒を見るのが好きなんだ」 ウェストハムの最優秀若手選手をビッグクラブが放っておくはずがない。 移籍の噂は後を絶たないが、本人は冷静だ。 「誤解しないでほしい。 ビッグクラブでプレーする力がないと言っているわけじゃない。 タイミングがあると思うんだ。 今はそのタイミングじゃない。 まだ学ぶことがたくさんあるし、僕はウェストハムでの毎日を心から愛している。 サポーターとも最高の関係を築いているし、監督も僕を気に入ってくれている。 フットボールをするうえで最高の環境だよ」 アイルランド代表か、イングランド代表か 昨シーズンは代表選出をめぐるドラマがあった。 しかしここで重要なのは、そこで戦った3試合がいずれも親善試合だったことだ。 つまり、「イングランド代表候補に」との声が上がったとき、国籍変更がまだ可能な状態だった。 「去年の6月にガレス・サウスゲート監督と話をした。 ぜひ代表に迎えたいと言ってくれたよ。 プレッシャーをかけるような話し方ではなかった。 本当に尊敬すべき人だと思ったね。 『君はどうしたい?』と、僕の答えを待ってくれたんだ」 時間をかけて結論を出したいと考えたライスは、昨年9月に行われたUEFAネーションズリーグのウェールズ戦でプレーしなかった。 この公式戦に出場すれば、イングランド代表への道が完全に閉ざされるからだ。 「SNSは見なかったよ。 避けていたというわけでもない。 ただ興味がなかった」と当時を振り返る。 「SNSに翻弄される選手もいるけど、ウェストハムでのプレーに集中するほうが楽だったし、実際にそうした。 母親は心配していたみたいだけど、どうってことなかったね」 もし彼が、冒頭の場面でアストン・ヴィラ行きの電車に飛び乗り、チャンピオンシップで戦うことになっていたら……イングランド代表への道は閉ざされていたかもしれない。 ライスは半年間考え抜いた。 そして今年2月、スリーライオンズの一員となることを選択した。 「難しい決断だったよ。 アイルランド代表ではとても充実していたからね。 今でも代表で一緒だった仲間とはよく話す。 オニール監督は素晴らしい指揮官だった。 僕の家に来てくれたこともある。 あんなにいい人はめったにいないよ。 彼のような人を傷つけたくはなかった。 でも、自分のキャリアのために一番いい選択をしたと思っている」 イングランド代表のユニフォームをまとって3月のユーロ予選に出場すると、6月にはUEFAネーションズリーグ準決勝のオランダ戦でも先発を務めた。 代表チームの仲間とは瞬く間に融合を果たしたようだ。 「まずは友人であるベン・チルウェルの部屋のドアをたたいた。 そのあとマーカス・ラッシュフォードやルーク・ショーに出くわして挨拶をした。 次がハリー・マグワイアだ。 すぐにミーティングが始まって、みんな優しく歓迎してくれた。 イングランド代表としてピッチに立つなんて信じられなかった。 ピッチに向かって歩くとき、観客が歌う国歌を聞いて身震いした。 腹の中で火が燃え上がるような感覚だったよ。 これから何度でも同じ体験をしたい」 代表への熱い思いは止まらない。 「ユーロの本戦は来年に迫っている。 何とかレギュラーポジションを取りたい。 そのためにはウェストハムで結果を出し続けて、サウスゲート監督にアピールする必要がある」 現在、アイルランド代表の監督を務めるミック・マッカーシーは、ライスがアイルランド代表のキャプテンになる器だと言って引き留めようとした。 彼の成長の早さとピッチでの冷静な立ち居振る舞いを考えると、イングランドのキャプテンマークを巻く姿も十分に想像できる。 ライスは「いつかはなってみたいね」と言って、笑顔を見せる。 「イングランドのキャプテンになりたくない選手なんていないよね?」 14歳でチェルシーを追い出された彼。 16歳でウェストハムを追い出されそうになった彼。 時に、人生は運によって翻弄される。 しかし人生は自分でつくり出すものだ。 そのことを忘れてはいけない。 ライスは苦しい時期にも決して諦めなかった。 周囲の話を聞き、学び、それを消化して気持ちも体もたくましい男になった。 若者よ、彼を見習ってほしい。 君の道もきっと開ける。 007(2019年11月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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